捺火削がん

まず、ココロのスキマにスイッチを設置します

小説「証拠文書助けてください」

はじめに

※ この記事は、某校文藝部「Air Mail vol.31」に寄稿した作品を転載したものです。

当時高一ですが とても高一って感じで 良くないですね

 

 

 

本文

十二月二十三日

 夜道を歩いていたところ、何者かに付けられているような感覚を覚え、後向を振り返ってみたところ、特に何もなかったことは確かなのですが、何とも不気味な感じがして、よく探憶してみたところ、あれは確かにこちらを監視していただろうと確信いたしましたから、その監視状態の詳細をここに記録として残しておくこととしました。私の身に何かがあった時は、この記録を見ることで彼らの執業であると断定することができるでしょうが、その特性上、そんなことが起きてしまえば、既にあれらによって破棄されているかもしれませんが、そうすれば私の人生と真実を投影する勾玉は五十億年後まで水平線下に葬り去られることとなりますから、そのような事態を避けるため、何かしらの策を講じたいと思います。

 今日の監視は三人、具体的には、千谷原東駅のホーム上にて私の方向を数秒(それも一桁の秒数以内に!)毎に怪しげな眼で見つめていた高校生と思しき女、あれは私の姿容が気に入らないといったような表情を見せていましたが、その壁の先にある真意が今なら理解することができます。次に、夕飯を食べた居酒屋の従業員は、私のお冷を他のどの客よりも雑に置きました。私は、あの食店の気に入られなかったようです。その時点で何とも言えない寒気を感じていたのですが、その正体は殺気でした。次回からはまた違った店舗を利用しなければなりませんが、それは容易いことではありません。どんな場所でも、人間が一定数集まれば、私の事を心の底から天の頂まで憎んでいるような人間が必ず一人はいるのですから、相当な運がなければ安全な生活はできません。最後は、最初の方にも書いた、帰路にて私を付けて来た男です。「たまたま同じ方向に家があった」といった分かりやすい嘘が無ければ、それが罠であるとは気づくことができなかったでしょう、しかし、その瞳が捉えていた方向が右往左往していたことを念頭に置いて考えれば、明白なことにそれは全実な嘘でした。

 とにかく、私の身に危機が迫っていることは確かです。危険な因子は可及的速やかに消去、そうでなければ注視しておくべきですから、一時的要因が彼らをそうさせている、あるいは何者かが特定の小さな目的のために一時的に監視員を遣わしている可能性も在存するとはいえ、常に最悪の事態を想定して、例えば彼らの最終的な目的が私の殺害である等の可能性を考慮に入れなければならないということです。

 明日以降は特に注意して生活しようと思います。

十二月二十四日

 やはり複数人による監視を受けていることは正実でした。そして残念なことに、監視者は昨日のあれらとは全実に異なっていました。このことから推査するに、これは組織的な監視であることが確実であることが分かってしまいますが、しかしそれは私にとってはかえって良い事でもあるとも言えるのかもしれません。というのも、私の顔は醜悪であり、外目はみすぼらしく、仮にそういったハードルの潜り抜けて私に接近したとしても、私の品性下劣さに驚哀して私から離散してしまうのです。毬栗の惑星のあったとして、接地したい人間が存在するでしょうか? いいえ、私は存在しません。だから、この宇宙に住まうあらゆる個々人が個別に私の殺害を企てているとするよりは、何かしらの集団を率いる「長」からの強い恨みを私が買っていると判断した方が、私にとって非常に心地の良いのです。これが私の望みです。

 前置きが長くなりましたが、今日は二人による監視を受けました。最初のひとりについて、具体的には、朝、起床し朝食を食べ、会社へと出発して、普段通り御前見駅に向かっている途中の事でした。まさに白昼堂々の犯行で、駅に向かう私の後ろのピッタリを付けていたのです。ドラマであれば非常に無能な人間として扱われていたでしょう、というのも、彼は何も工夫せず、つまり、私に感付かれないような方策――例えば、柱電の陰に隠れるなど――を何も実行せずに私をつけていたからです。こうしたドラマで尾行といえば「あんパンと牛乳」が定番でしょうが、そういったものもなにも持ち合わせておらず。とんだポンコツでした。もちろん、彼がもう少し迂闊さを消去した場合にも、私は気付くことができると信じていますが。

 そして次に二人目が、私の乗車した列車において、私の目の前の座席に座っていた年配の女性です。座席に座っている以上、例えば席を譲らない若者――それは私かもしれませんし、それ以外の人かもしれません――への「配慮」を求める視線ではないであろうし、少なくとも彼女がこちらを見つめていたのは、私に対する何かしらのネガティブな感情の明表であることが明らかでした。しかし先ほど言った通り、集団的監視を考える方がより合理的で気の楽であるため、そうします。彼女は誰かから私の電車における「立ち位置」の癖を伝言され、律儀にもその位置で座っていたのだとすれば、確かに辻褄が合うのです。

 このようにして、私への集団監視は証明されました。警察組織がまともな見方として機能してくれるのかどうかは疑問が残りますが、通報も検討の内に入れなければなりません。

十二月二十五日

 喜ばしい事なのかは分かりませんが、なんと今日は監視の様子が一切見受けられませんでした。私の勘があまりに鋭いことに恐れ慄き撤退を決めたのでしょうか? しかしそれもまた不自然な話です。あれほど分かりやすいポンコツの監視員を召喚しておきながら、ターゲットの勘が鋭いから作戦中止である、と? もしもそんな話が真実なのだとしたら、まさに「笑止千万」といったところでしょうか。つまりどういうことなのであるかといえば、私は「監視」そのものの存在について疑心を抱いているということです。いえ、正確に言えば、私の中の、元来「理性」的な側面を担当してきた部分が、「そんなことがあるわけがない」と私の考えを冷笑の的にしているのです。もちろん、理性的な思考というのは重要です。しかし、そういったものによって、私の人生の道は幾度となく目の前で閉ざされてきました。であれば、仮に「個人の監視だなんてそんな馬鹿馬鹿しいことがあるはずがない」と少しでも自分で思ってしまうということは、何者かが私のその「理性的思考野」をジャックして波電発信拠点として利用し、何らかの認識阻害を行おうとしていると考える方が自然なのではないでしょうか? こういった表現をすると何やらオカルトチックには見えてしまいますが、とにかく、冷笑などという恥ずべき行為を行っている「理性」というある種の壊れた「ストッパー」にかける情けや信心などありません。

 ですから、これで慢心することなく、むしろより一層、監視への監視を強めて行かなくてはなりません。気が弛んだ時が最も危険であることは、もはや新進の皇女さまのご尊顔を拝まずとも理解できることでしょう。そうです。これはブラフなのです。ここで殺害――とまでは行かずとも何らかの危害を加えられてしまっては、過去の自分に対面してその努力の実結を見せることも出来ないというものです。私は頑張ります。

十一月二十六日

 大変なことになってしまいました。監視が再開されたという事実に関しては、あらかじめ想定していたことでもあるためそこまで大きな動揺を私に与えなかったのですが、しかし、私が勤めている会社の同僚に監視側の人間がいたことは、私にとってある種最大の盲点であり、激しい驚哀を私に齎しました。

 今や敵衆勢力であることが明判したとはいえ、彼は何年にも亘って切磋琢磨し合ってきた私にとって数少ない好敵手にして無二の人友でした。しかしどうでしょう、彼はもはや彼らの手中に堕ちたというではありませんか! 言い得ぬ悲しみに襲われました。

 そしてこのことからも分かるように、もはや監視の目は私の日常生活のすぐそばにまで迫ってきているのです! ああ、どうしようもなく恐ろしい。私は一体どうすればいいというのでしょうか。他の社員たちも(一部はまだそうではないのかもしれませんが、大半が)監視側の人間であるということはもはや火を見るよりも明らかです! 新たな働き口を探す時門かもしれません。もはやここは職場などではなく、地獄の悪魔のねぐらです。

 そして深夜、ようやくサタンの城から逃れることができたかと思えば、終電を逃すまいと駅の洞内を駆け抜ける私を丁度邪魔するかのように目の前を歩いている人がいたのです! 彼らの生活支配はもはや真害を及ぼす程度にまで届達してきているということでしょうか。少なくとも、彼らの手口が「監視」だけではなく「妨害」をも含んでいたことが今日明らかになったため、彼らの事は今後「デビル団」と呼ぶことにしました。ポケットモンスターシリーズの敵組織の名前のようでなんだか笑えてくるような気もしてしまうのですが、決して笑い事ではありません。今日も当然監視員は居ました。警戒の手を緩めてはいけないのです。

十一月二十八日

 昨日は初めてこの証拠保全用記録文書を更新するのを欠失してしまいました。これは何故なのかというと、もう一度仕事に行ってみたものの、恐怖のあまり激しく疲弊して、何とか逃亡して自宅に帰ってきたとき、そのままベッドに転がり込み、果ててしまったためです。防犯上の観点からは非常に危うい行動なのですが、どうしようもなかったのです。彼らデビル団は、何かしら精神や身体に負の影響を及ぼす干渉装置を利用しているのでしょうか? だとすれば本当に危険な連中ですが、彼らが危険なのは元からでしょう。

 今日は仕事を休みました。あの会社はそういったことに厳格なので可能であればそんなことはしたくないのですが、ここまで心身に異常をきたしている状態であれば仕方のないことだと思います。

 さて、職場にいるデビル団の人間は、一人で相手をするにはどう考えても敵が多すぎますから、仕事を辞めることを検討しています。何年間も勤めてきた会社ではありますから、非常に惜しいことではあるのですが、これらの事案の根源的な原因は彼らデビル団にあるわけですから、私の問題ではなく、どう考えても彼らの方の問題です。なんなら給料を補合してもらいたいくらいですが、そんな美味しい話があるはずもありません。諦めるしかないようです。

十一月三十日

 仕事を辞めました。想像していたよりもスムーズに事が進んだことに驚いているという状況なのですが、とはいえ、行動阻害波電などの妨害や普段通りの監視に対する注意によって凄まじい疲労で倒れてしまいそうでしたので、昨日の記録が無いのはそういうことだと思っておくようにしてください。

 何はともあれ、私の存在を脅かしていた危険集団から少しでも距離を置くことができたのは非常に好ましいことだと思いますので、これまでよりも多少何もかもマシになるような気がしますので、真当に良かったことなのではないかと思われます。

 しかしながら、本題はそちらではありません。これは本当に大変なことです。もはや私はどうしようもないのかもしれません。なぜなら、私の家族も既に彼らの手中にありました。このことに最初に気が付いた時、本当に衝撃でした。そしてそれと同時に、私は海を統べる綿津見の眷属たる巫女様が我々を包み込んでくださる際の愛よりも、残念ながら深いと形容せざるを得ないような悲哀の闇に呑み込まれてしまいました。このことに何故気付いたのかと申しますと、この頃両親が私の家(言っていなかったかもしれませんが、私は一人暮らしです。これを読む方には伝わるだろうと思って省いていたのですが、彼らがどういった種の隠蔽を行うか分からないということを考えれば、書いておいた方がいいでしょう)にやたらと電話をかけてくるのです。内容も支離滅裂で、私は単純に監視や妨害、迫害から逃れるために止むを得ず会社を去ったというのに、私の体調の方を心配してくるのです。もちろん、デビル団の工作によって私の体調は最悪の状況ですが、そんなことも知らずに「病気はしていないか」とか「ちゃんと栄養は取れているか」とか「ちゃんと寝ているか」とか、あまりにもありきたりな、「あるあるネタ」にさえなりそうな心配の言文を投げかけてくるのですからたまったものではありません。しかしながら、私の両親は、このような鈍感な人間ではなかったはずですし、私も両親のことを信じていましたから、これまでの顛末のすべて話しました。しかし、彼らは更なる心配という形でそれに応えたのです。ここで、私は両親のデビル団によっていわば「ボット」のような状態にされていることに気が付きました。洗脳がなされているのです。本当に心が痛い。このようなことをされてしまった両親が不憫でならないと共時に、そのような極悪非道品性下劣冷酷無比の行いをしてのけるデビル団への激しい憤りを覚えました。

 私は、私の両親を救うために、戦わなければならないということは、確かに確かなことなのです。

十二月三十一日

 朝、私は両親の家――すなわち自らの実家に赴きました。両親にデビル団の手が及んでいるのだとすれば、自宅に何かしらの工作がなされていると考えることが自然であると断蓋したためです。両親は私の突然の帰省に驚いていました(何年も帰っていなかったので、より一層予想外の来集に驚いたのでしょうが)が、事情を説明すると引き下がってくれて、私は調査を行うことをできたのですが、証拠がなかなか見つからなかったものですから、大した隠蔽能力だと一面では感心しつつもう一面では激しく憤怒し、畳の裏側や布団の綿の中まで探望してみたのですが、何も見つからなかったのです。ここまでの事があって両親がデビル団の干渉を受けていないと考えるのは明らかに間違っているため、これではどうしようもないと落胆していたのですが、私にはいいアイデアが思いついてくれました。警察を呼ぶのです。警察は、反社会的組織を撲滅させてくれるはずです。緊急性の高い事案ですから、一〇〇番通報をしました。しかし、しっかりと説明をしたのにも拘らず、取り合ってもらえませんでした。名前は忘れましたが、緊急通報版のコールセンターのようなところは、デビル団の手に落ちていたようです。

 仕方がないので近所の交番まで走っていこうとしていたところ、自宅のすぐそばにパトカーが止まっているのを見たため、近づきました。するとどうでしょう。中から出てきた警察官は突然私を捕らえようとしてきたのです! 偽物でしょうか? それとも洗脳・共謀でしょうか? とにかく、警察組織はもはや信用できないということが分かりました、これはコールセンターの一件で予測しておくべきでした。反省しました。

 私は山の方へ逃げるとき、警察官や両親が「収容」について話しているところを聞いてしまいました。これで彼らの最終目標が明らかになりました。やはり、私はデビル団によって捕らえられようとしていたのです。目的は不明です。こんなしがないサラリーマンの何が面白いのでしょうか? 無差別なのか? だとすれば私以外にもこのような被害に苦しめられている人が大勢いることになってしまうため大変心が痛みます。

 ほどなくして、夜の帳が落ちました。この暗さでは、彼らも私を見つけるのは困難でしょう。視闇ゴーグルでも使っているかもしれませんし、高次元から私を監視しているなんてこともあり得なくはないですが、私はひとまず勝利しました。

 そういえば、今日は大晦日であったようです。年越しそばというものがありますがご存知でしょうか。あれは美味しいものです。昔はあれを食べながら年末のテレビ番組を見ていました。今は寒いですが、これを想像すると暖かな心地になれます。

 監視の存在に気付いてから一週間強、短いようで長かったのではないかと考えています。これからの事は、あとで考えるしかありません。今はもう、ただこの喜びを噛みしめて、眠りにつきたいと思います。

 そういえば、我が家は年越しの瞬間には皆でジャンプをするような愉快な家族で会ったように思いますが、間もなく来年がやって来ます。せっかくなので、跳んでみることにしました。

 跳んできました。まあ、ジャンプしたって、地球上に存在していることに変わりはないのですが。

 感傷に浸ってしまいましたが、明日以降の事は、明日、目が覚めたら考えることにします。もはやこの世には敵しかいません。迫害を受ける同胞と会えればいいのですが。野宿は初めてですが、とりあえず寝ようと思います。

 

ブラック企業被害事例集 No.13

 過労によると思われる被害妄想から半狂乱状態に陥り、危険を感じた両親が警察へ通報するも逃走、行方をくらまし、二日後、付近の山中で発見。その場で死亡が確認。当該資料は、発見当時被害者が所持していた手帳に記されていたものを文字に起こしたものである。ところどころ文法的な誤りが見られるが、原文を尊重し、そのまま掲載している。