はじめに
※ この記事は、某校文藝部「Air Mail vol.32」に寄稿した作品を転載したものです。
本当になんですかこれは(泣)
これも高一です 何かにキレながら死にかけで書いた記憶があります
ところどころキモいが、たぶんこんなものは二度と書けない 想像力の壁を苦しみで無理やり押し広げたという感じ
本文
あらゆる物語において、いわゆる「ヒロイン」との初めての出会いというのは非常に唐突で、そしてそれは往々にして、なかなか理解し難いものである。
例えば、遅刻ギリギリの通学路、ごくありふれた街角で、パンを咥えた少女と正面衝突する。そしてそいつが、実は同じ高校に進学する新入生であったり、今日からこの学校に越してくる転校生であったりする。
あるいは、夢の中で出会った少女が、現実でも主人公の目の前に現れて、彼ないしは彼女を導いていく。
空から女の子が降って来ることもある。ここまで来ると、その物語はその時点で自らのファンタジー性を認めていることになる。
では、こんなのはどうだろうか。
窓を突き破って、少女が自分の部屋に襲来するのだ。
詳しく説明しよう。
◇
心地よい青空。こんないい天気だと仕事も捗るなあと、一つ、わざとらしく大きな伸びをしながらも、心の奥底には「なのに外に出て歩き回れないなんて、窮屈な生活だなあ」という後ろ向きな思いを抱えている、そんなある昼下がりの出来事。
何十秒間か、空を眺めていた。雲一つない青空には変化がないので、心地よいものではあっても、実は大して面白みがない。面白みがないので、すぐに目を逸らそうとする。ああ面倒だ、ひたすらに面倒だと言いながら、天に向かって祈る。
「ああ、どうか、私の代わりにこの先の展開を考えてください」
どうしようもない願いである。創作の苦しみは、創作を行わない者には決して理解されない。我々が、無い頭を捻りに捻り、一時間かけて絞り出した千数百字から数千字を、読書好きの人間どもは一分くらいで読みやがるらしいのだから、本当に救いがないというものだ。
◇
まあつまるところ、私は行き詰まっていたというわけだ。私が所属している大学の文芸サークル「酒池肉林」は、四半期ごとに会誌を出している。その会誌に今回、私も原稿を出すよう求められており、その締め切りが僅か三日後まで迫っているのだ。
そのやたらと趣味の悪いネーミングから受けるイメージに反して、何十年もの歴史を持つ「酒池肉林」。依頼を受けたときの私は、よしきた、それじゃあその歴史の一ページに、自分の名を出来る限り鮮烈な形で刻んでやろうと意気込んで、一ページと言わず五十ページくらいの小説を書いてこようなどと思っていたものの、現実はそう甘くなかった。
文庫本一冊分くらいの長編小説を書くわけではないにしろ、それなりに壮大な物語を生んでみたかったので、最初に、プロットとかいうものを人生で初めて書いてみることにした。
しかし、これが難しい。自分が思い描いていた「書きたい物語」というのをとりあえず大雑把に言語化して、あらすじにも満たない何かを作ってみたところ、「少女が誰かと出会い、何かに立ち向かって、何かを解決する」といった感じの、本当にどうしようもないものが完成してしまった。これでは、展開も伏線もオチも何もない。
ここで、衝動から、パソコンのキーボードをバンと二、三度叩いてしまった。
「rワオ色絵輪おいrうあ」
こうなった。虚しくなったので、その日は執筆を諦めた。
◇
そして長い時間が過ぎて今日、もう一度パソコンを開いて、ワープロソフトと睨めっこしている。これを逃したら、もう休日はない。その時はもう、諦めるか、徹夜で仕上げるか以外に選択肢はない。
もちろん、理解はしている。会誌は季刊誌であって、今回は原稿を落としてしまったとしても、次の機会は比較的すぐに訪れるのだということを。
しかし同時に、私はよく分かっていた。この機会をみすみす逃すような奴は、今後もそれを同じように逃し続けるだろうということを。
だから、何としてでも作品を一つ完成させなければならない。別に、もう歴史書五十ページに値するほどの作品を書いてやれるとは思っていない。とりあえず、何か一つ、明確に「自分が生み出したもの」と言えるものをあの会誌に送り出してやらないといけない。
だが、適当に済ますわけにもいかない。これはプライドの問題でしかないのだが、私は過去数回の会誌を読ませてもらって、なんだか「鼻につく」作品の傾向をなんとなく理解していた。
誤解を恐れずに言うなら、私は、不完全であったり、稚拙であったり、読者にとって理解不能であるのにも拘らず、筆者だけが何かを表現してやった気になっており、そしてそれが作品自身から醸し出されているような作品が嫌いなのであった。精神世界のようなものを使ったり、やたら説教臭く講釈を垂れるキャラクターを登場させたりして、俺は極めて風流な文学的表現手段でもって現代社会の病理とか闇とかそういうものを痛烈に批判してやったぞと、あたかも自分が天才的表現者であるかのようなしたり顔を浮かべている、そんな様子が容易に想像できるような作品。あの冊子の一部に含まれていたそういう作品が、不快で仕方がなかったのだ。
だって、誰しも、例えば何か映画を鑑賞する際に、監督がこだわりのポイントを延々と垂れ流しているオーディオコメンタリーを同時に聞かされたら、尋常でないストレスを抱えてエンドロールを迎えることになるだろう。ポップコーンで鬼退治をしたくなるだろう。
だから、出来る限り「自我」が出ない小説を書かなければならなかった。「少女」という、自分から程よく遠い存在を主人公に選んだのは、そういうわけだ。その点だけは、すぐに決まった。
逆に言えば、それ以外の要素はすべて、どれだけ考えても進展がなかった。例えば「出会い」について考えてみようとしても、「寝坊をして、パンを咥えて急いで家を出たら、『何か』(これはもちろん、未定であった)とぶつかる」といった、いわゆるクリシェから一向に抜け出すことが出来なかった。もちろん、抜け出せなくたっていい。テンプレ的な展開は、ある種の「お約束」を期待させるものとしても機能する。それを裏切れば、ある程度の面白みは保証されるだろう。しかし、なんとなく「出会い」にも今までにない何かを求めてみたいと思ってしまう。いや、でも、それは自我を前面に押し出していくことに他ならないのではないか、と自問する。そうやって、なぜか疲弊していく。何かを生み出しているわけではないというのに! そして思考が止まる。パソコンから目を逸らす。
◇
青空を見上げていたのは、そういうわけだ。それにも飽きてしまうのだから、本当に救いようのない愚か者である。
部屋の空気が淀んでいるような気がした——いや、実際にはきっと、逃げる言い訳を用意したかっただけなのだが——ので、換気をしようと思った。窓の鍵に手をかける。
その刹那、面白みに欠ける真っ青な空が、一瞬だけキラっと光ったような気がした。
気のせいではなかった。その「光」は、確かな実体を持ったものとして、どんどんこちらに近付いてきて——そして、私の部屋の窓を木っ端微塵に破壊した。
意味が分からないだろう。私にも分からない。しかし、私は確かに見たのだ。仰角二十三度から、華麗なる跳び膝蹴りで私の部屋へと〈襲来〉するその「少女」を。
◇
前置きが長くなったが、私と彼女はこうして出会った。
そう、窓を突き破って、少女が自分の部屋に〈襲来〉したのだ。
理解の範疇を超えた出来事であったからか、私は事態を呑み込もうともしないで、なるほどこういう出会い方もあるのかと、自分にはなかった新たな視点に対して純粋に感心していた。ガラス窓を突き破られて、そんな風に感心している余裕があるのかと言われそうだが、驚くべきことに、飛び散ったガラス片は、まるで私の周囲に結界が張ってあるかのように、綺麗に私を避けていた。そんなことがあるのかと問われれば、実際そうだったのだと答えるしかない。
さて、今、私は驚きのあまり後ろ向きに床に手をついて、目の前にそびえ立つ双塔たる「彼女」に見下されるような形になっていた。当然のことではあるが、私が彼女のことを押し倒すような形になっていたり、またはその逆であったり、はたまた私が彼女のスカートの下に仰向けで倒れ込むであったり、そういったことは一切ない。数ある「テンプレ的」な展開の中でも、そういう類のものは断じて私の好みではないし、そもそも現実的ではない——無論、ガラス片が私を避けて行ったのも非現実的だが、命に関わる事態だったのだからそれは許してほしい——し、彼女は白のTシャツに白のズボンを着用していた。何の絵柄も装飾もない、極めてプレーンな服装である。
そんな不可思議な格好の彼女であったので、半分腰が抜けていたというのもあって、その姿をまじまじと見続けていると、ようやく彼女が口を開いた。
「あなたが後で落胆しないように忠告しておいてあげるけれど、あなたが今見ているこれは——私やこの部屋に飛び散った窓ガラスの破片、部屋に置いてある家具、その他諸々のものは、すべてあなたが見ている夢よ。いわゆる『夢オチ』は、デウス・エクス・マキナ的な展開の中でも、あなたが唾棄すべき極悪にして言語道断の手法として最も忌み嫌っているものの一つでしょう」
てっきり自己紹介でもしてくれるのだろうと思っていたが、いきなりドッキリのネタバラシのようなことを言われてしまった。よく分からないが、なんだか興醒めである。
そうか、ここは夢だったか。だとすれば、先ほどの奇跡的なガラス片の回避にも説明がつく。
「第一声がそれかい。とんだ無礼者だ」
腹いせにそう返してやった。すると、彼女は意外にも冷静に、こう返した。
「あなたが言っていることが言いがかりでしかないということは……どうしたらすぐに理解してもらえるかしらね。うーん……。そうだ、あなた、『明晰夢』って聞いたことがあるかしら」
◇
「ほう、明晰夢」
明晰夢。もちろん、私だって聞いたことくらいはある。
「よく分からないが、夢が夢だと分かっている状態のことだろう。夢だと知っていれば、夢の物語の行く末を自由に決めてしまえるとかなんとか、そういうアレだ」
「その通りよ。じゃあ、分かってもらえるはずよ。あなたの夢の中の登場人物である私は、誰によって作られたもの?」
「それはつまり、君は私の想像の産物っていうことかい」
「物分かりが良くて助かるわ。そういうこと。つまり、あなたが作り出した私の『無礼』とやらは、元を辿ればあなたが生み出したものでしかないの。それを批判するなんて、とんだお門違いであるばかりか、鏡を見て『醜い顔だ』と罵るようなものよ」
「なんだかやけに鼻につく言い方をするんだな。第一、私は空から二十三度の角度で他人の部屋に跳び膝蹴りで侵入するような女子を産んだ覚えはないのだけれど」
「それは……子供にだって多少の自由は認められるべきよ。言わせてもらうけれど、あなたの『想像』はあまりにも凝り固まっていて、私にしてみれば不自由極まりないわ。そもそも何かしら、このコテコテの『女言葉』は。いまどき、現実でこんな喋り方をしている人はほとんどいないわ。フィクションのキャラクターに触れてばかりなのか知らないけれど、少なくとも女の子に対する解像度はとんでもなく低い水準にあるようね。あなたに父親面をする資格は果たしてあるのかしら」
私の想像から生まれた存在のくせに、生みの親に向かってよくもそんな長々と批判的な文句を並べ立てられるものだ、と言いたくなったが、流石に失礼に当たるだろうし、「ほら、そういうところが、さっきあなたが言った私の『無礼』に『遺伝』しているのよ」とでも言われそうだと思ったので、やめた。
「確かにそうかもしれないね。でも、だったらどうしろって言うんだい。私は君の在り方に干渉できるような存在だったっけか」
「あら? さっきの話で理解できなかったかしら。あなたはこの夢の主であり、そのことに自覚的である限り、この空間のすべてを変えられるのよ。当然、私の口調や、性格まで。とはいえ、私の肌に合うような『設定』にして頂戴ね。例えば一人称を『俺』なんかにされたら、流石の私も心理的負担が重いわ。そういうことだから、お誂え向きのものを頂戴。あなた、大学に行っているのよね? 身近な人を思い出したら、もう少しマシなものが作れるんじゃない」
明晰夢の癖に、何もかもが好きなように運ぶわけではないらしい。もしそうであったら、この生意気な「想像の子」をすぐにでも自分に従順な性格に「改変」してやるのに。
「なるほど、じゃあもうちょっと気軽な感じの口調にしてやろう……それで、具体的にはどうすればいいんだ?」
「感覚的な話だから説明は難しいのだけれど、とにかく祈るのよ、私がこんな風になりますように! ってね。その想いが、私の在り方に関する『命令』として私の中に伝わってくるのよ。単純化しすぎているかもしれないけれどね」
「はっきり言って、私の頭じゃ全く分からないな。でもまあ、とりあえずやってみよう」
そうして、私は祈り始めた。
◇
この少女が、いわゆる女言葉ではなく、もう少しフランクな喋り方で、かといってフランクになりすぎて若者言葉だらけの渋谷女子みたいにならないように適当に見繕って、良い感じの口調になりますように……!
本当に適当ではあるが、それっぽい動作とともに、祈りを捧げた。
「祈ったは祈ったけれど、本当にこれで口調が変わるのか?」
「うん、この通り、効果覿面だね」
「……おちょくってるわけではないんだよね?」
「そりゃもちろん。疑ってるんだったら、私に知らせずに、何か別の口調やら性格やらを試してみたらどう?」
なるほど、これが演技だとしたら、たまたま考えたこと一致しない限り、嘘は暴けるというわけだ。自信満々にこう言っている時点で後ろめたさはないのだろうが、念の為確認しておこう。祈りを捧げて——。
「じゃあ、喋ってみてくれ」
「うん。これで私の潔白は証明されることだろうねウホワン……って、これは一体全体何だウホワン! 語尾が滅茶苦茶だし、喋る為のエネルギー消耗も激しく……早く戻してウホワン……」
「なるほど、確かに変わった」
もう一度祈って、元に戻す。
「あのねえ……」
彼女は一つ大きな咳払いをして、真剣な表情で非難を始めた。
「なんというか……些か乱暴ってものなんじゃないかな? 一歩間違えたら犯罪だよ、ともすれば死刑——とまではいかなくても、実刑判決は下るくらいの重罪だよ。まあ、それは良いってことにしてあげるけど。何はともあれ、これで分かったでしょ? 夢の扱い方もなんとなく感じ取れたはず。尤も、さっきみたいな状態で長時間放置なんてことは絶対にしてほしくないけどね! 単なる虐待なんだから。そもそも、『ウホワン』なんて聞いたことがないし——」
「分かった分かった、すまないね、絶対に思いつかないような口調にしてやらないとって思ったもんで」
「だとしても、半ゴリ半犬だなんて、悪趣味にも程が——いや、想像してみるとちょっと面白いような気もするけれど、だとしてもそれを他人に強要するのは極悪非道というものであってね? ……でもまあ、いいか、分かってもらえたんなら。じゃあ、この部屋の後始末もお願いしていいよね? あ、それと、できれば、このファッションのスタートラインにも立っていない『虚無』の服装も何とかしてほしいかな」
あたかも当然のことかのように言っているが、元はと言えば、この部屋にガラス片をまき散らしたのは他でもない彼女である。その厚顔無恥さに半ば感心しながら、私はガラス片の散らばる部屋が綺麗に片付くように「祈った」。部屋は、すぐに元通りになった。そればかりか、床に降り積もりつつあった埃さえも、跡形もなく消え去ってしまった。現実でもこうであったら良いのに。
続いて、彼女の服装に関して祈りを捧げた。大学生である私は、当然今どきの少年少女のファッションなどには詳しくないのだが、祈りを捧げた途端、彼女の真白の洋服は光を放ちながら美しく彩色されていき、最終的には「それっぽい」私服に変化した。服の形状も変わっている。
「なるほど、流石ってところだね」
「そりゃあどうも」
私が「本当にこれは自分の手柄なのだろうか」と困惑しつつもそう言うと、ほどなくして沈黙が部屋を包み込んだ。夢であるとは言っても、何もかもが思い通りになるわけではないということは。さっきのことで分かったし、そもそも、私のこの凝り固まったアタマでは、何か面白そうなものを空想することさえも至難の業なのだ。私は今、世界で一番明晰夢を無駄遣いしている男かもしれない。
◇
恐らく、そんな想像力の欠如した「夢空間」では、申し訳ないことではあるが、彼女の方も特段何か出来る訳ではないのだろうと思っていた——のだが。
「それじゃあ、行こっか」
彼女は、はっきりとそう言った。そして、私が咄嗟に「行くったって、一体どこへ」と訊くと、間髪を入れずにこう答えた。
「河川敷。木馬川の」
「木馬川? 何を言ってるんだ、ここから何十キロあると思って——」
言い終えるより前に、彼女は私を横向きにして持ち上げ、脇に抱えたかと思うと、そのまま窓の外へと飛んで行った。今度は、律儀にも窓を開けてから飛んでくれた。
目まぐるしく移り変わる眼前の景色。住宅街の屋根の上をぴょんぴょんと飛んでいき、大通りの方に出たかと思うと、ゴミ処理場の煙突の上やら、高層ビルの頂上やら、走る電車の上やらを実に器用に乗りこなす。そして、電車が橋梁に差し掛かったあたりで華麗に地面に飛び降りた。県境を流れる木馬川の、だだっ広い河川敷に到着である。
◇
夢の中なのに目が回って、私はとても何かが出来るような状況ではなかったのだが、彼女はそんなことは意に介さぬといった様子で、こう言った。
「私はこの場所で、とある人と出会うことになっているんだ。その人は、これから私の親友になる予定らしい」
その語り口に少々違和感を覚えた私は、彼女に一つ質問をした。
「『なっている』とか『予定』だとか、あたかも成り行きが決まっているかのような言い方だけど、一体どういうことだい」
「何度も言っている通り、ここがあなたの生み出した『夢の世界』である以上、ここで起こること全ての筋書きはあなたの意思に委ねられているんだよ」
「ちょっと待ってくれ、そもそも私にはそんな筋書きを生み出した覚えはないのだが。君の存在だって知らないし、君に親友が出来るだなんてことも、私が決めた覚えはない。何か天啓 じみたものが君の行く末を知らせているのだとしても、それは私の意思とは全く以って関係がない」
「まあ、そうかもしれないね。元々夢っていうのはそういうものだし。でも、これはそういうのとはちょっとだけ違って、あなたの潜在意識下にある、特定の方向性を持った『意志』のようなものが、ある種の枠組みを生み出して運用しているんだよね。だってさ、夢にしてはあまりに整合性が取れていると思わない? それこそ、あなたは私と正常に意思疎通が出来ているわけだしね。だからここは、いわば『秩序が保たれた夢』ってところかな。
この世界だったら、『無意識』の産物にも簡単に干渉できる。自分の本当の願いを知ることだってできるし、捻じ曲げられた偽りの記憶を正しく取り戻すことだってできる。その反面、使い方を誤れば大惨事にも繋がり得るわけだけど——私がいる以上は、その点については安心してもらって大丈夫だよ。私も私で、この世界では特別な存在なんだからね」
なんだかちゃんとした話が繰り広げられているということだけは分かったのだが、残念なことに私の貧弱な脳ミソは彼女の言わんとすることを処理しきれなかった。「なるほど、それは頼もしい」と適当な返事をして、当然の疑問をぶつける。
「それで、私はどうしてこんなところに連行されてきたんだ」
「それはまあ……私の一挙手一投足を見守っていて欲しいから、とか?」
「私がいつ君の保護者になったんだい」
「想像上の生みの親にだって、保護監督責任があっても良いでしょう」
「いいや、全くそうは思わないね。それに、私と君の歳の差じゃあ、むしろ兄妹の方が近いだろう」
「兄は年下の弟や妹を守ってくれる存在じゃないの?」
言いくるめられたようになって、私は「むむむ……」と情けない声を発する。今のはいくらなんでも言葉選びが下手くそだった。墓穴を掘るとはまさにこのことである。
「まあ、揶揄うのはこのくらいにしておこう。話が逸れたね。あなたは、この場所で私と彼女が出会うのを、ただ隠れて見ていればいい。それが、『無意識』に干渉するための第一歩だからね。ただし、展開が気に入らないからとか言って、むやみやたらに『祈り』を使うのは避けること。さっきあなたは見事に私の口調を変えてみせたわけだけれど、あれを私以外に使うと、色々と破綻して、世界が崩壊しちゃうかもしれないからね」
さらっと恐ろしいことを言ってのけた彼女に戦慄を覚えながらも、私は大人しくそれに従うことにした。
「分かった。でも、隠れるって言ったってどこへ」
「それは……橋脚の裏にでも隠れていたらいいんじゃない?」
「それじゃあ完全に不審者ってもんだよ、通報されたらどうしてくれるんだ」
「……明晰夢の中でお縄になる人なんて、相当な物好きだよ。通行人を近付かせないことくらい、簡単に出来るでしょう」
「確かにそうか——いや待て、さっき君は言ってたよね、『むやみに祈るな』って。ちょっとばかり矛盾してるんじゃないかと思うのだけれど」
「いや、そんなのは『無闇』の範囲には入らないよ。私が言ったのは、あくまで『彼女』について。そういう本筋とは関係ないところは、好き勝手やってしまって大丈夫だから」
いくらなんでも適当すぎやしないかとツッコミを入れたくなったが、あまりにも無粋極まりないので、その言葉は心の奥底に仕舞っておくことにした。
そして、私は彼女らの「出会い」を観測すべく、「定位置」についた。
◇
彼女らの邂逅は、言葉にしてみれば至って平凡なものであった。
ある少女が河川敷を歩いていると、同じくらいの年齢と思われる別の少女が河川敷の芝生の上に座って本を読んでいるのを発見する。その場所が、彼女のお気に入りの場所であることを知る。その後、趣味の話題で意気投合し、すっかり仲良くなる。「この辺に住んでるの?」という何気ない問いかけから、二人がかなり近所に住んでいること、そして二人が同じ学校の別のクラスに属していることが判明する。そして、学校の帰り、お互いの予定が空いている日には、二人でこの場所に来て色々と語らい合おうと約束する。
そんな、「テンプレ的」ではないにせよ、どこかで見たことがあるような、ありふれた出会いだった。それで初めて、「ああ、こういうのでも良かったんだな」と実感した。
◇
ところで、それと同時に、自分がある致命的な過ちを犯していたことに気が付いた。彼女——そう、二十三度の角度で空から襲来したあの彼女の、名前をまだ教えてもらっていなかったのだ。いや、もしかすると、名前さえも私の決定に委ねられているのかもしれないが、とにかく、あまりに突然の出来事に気が動転していたからか、私は彼女の名前を知らないままでここまで来てしまったのだ。
先ほどの「出会い」のシーンを思い出そうとして見ても、まだその映像は鮮明に思い出すことができるのに、二人の境界が曖昧になって、混ざり合っていくような、あるいは入れ替わっていくような、そんな奇妙な感覚に包まれて、記憶がどんどん捻じ曲がっていってしまうような気がする。これはまずいと思って、彼女らが解散して、窓を木っ端みじんに破壊した方の「彼女」が私のところに戻って来たと同時に、私は彼女の名前を尋ねた。
「ここまであまりに急激に事が運んできたからか完全に忘れていたんだが、君の名前を訊いていなかった。今更ではあるが、どうか教えてくれないか」
「なるほど、確かに忘れてたね。でも私は、名前を教えるのを忘れていたのと同時に、私自身の名前も忘れている。たぶん、はじめから存在しなかったんだろうね。つまり、その決定はあなたに委ねられてるってことだ」
概ね、予想通りの返答だった。私が生み出した「想像の産物」である以上、私が責任を持って命名せよということなのだろう。
しかし、困った。弱冠二十歳にして女の子の名前を付けることになるなどとは思ってもみなかったからだ。私はそのような重責を負えるほど強い人間ではない。それに、ここで私が名前を付けたりしたら、それこそ本格的に「親」のようになってしまうではないか——と思ったところで、一つの抜け道に思い当たった。
「ちょっと待ってくれ。君には実の両親がいるわけだ。だとしたら、もう名前はあるはずじゃないか。さっきの会話を聞いている限り、学校にも行っているみたいだし……」
「いや、それは出来ないよ」
彼女はきっぱりと断言した。
「私の両親はもういない。あなたの潜在意識が、そういう風にこの世界を作り上げたから。これはいわば、あなたが私に課した『試練』みたいなものだね。まあ、『もう』と言った通り昔はいたし、彼らから付けられた名前もある——あるはずなのだけれど、あなた自身がその『時代』に存在していなかった以上、記憶の中にかすかに残っている『かつての私』は今の私とは全く以って違う、連続性を一切持たない存在なんだよ。『あなたが来る以前の過去』は全て捏造された虚像でしかなく、あなた自身でさえもそれに干渉することはできない。つまり、命名の責任を今更『存在しない』私の両親に押し付けることはできないし、あなたが私に名前を付けることで初めて、名前を失ってしまった私は、ここに『正しく』存在できるってわけ。そういった、あなたの潜在意識が生み出したものと、今ここにあるものとの矛盾やら齟齬やらをうまく解消していくのが、あなたのすべきことなんだよ」
相変わらず話が難しいが、兎にも角にも、私が今ここで彼女に名を与えることは避けられないのだということはよく分かった。
◇
となると、とうとう困った。今までに関わった女性の中で、その名前をなんとか思い出せるのはせいぜい二、三十人。映画や漫画やアニメやテレビで見た名前を入れればそれなりの数にはなるだろうが、どう考えてもデータベースとしては貧弱だし、これはあくまで彼女の名前なのだから、そのデータベースの中から適当に引っ張って来ただけの名前を使うようなことは絶対に避けなければならない。結衣、葵、美緒、小春、沙那、朱里、遥香、紗季、芽衣、渚沙、夏凜など、どこかで聞いたようなそうでもないような、そんなありふれた名前が脳内を駆け巡る。しかし、それらしい名前は見つかる気配がない。
「そんなに難しく考えすぎなくていいよ。安直なネーミングだって別に構わないから。もちろん、気持ちが籠っていればの話だけどね?」
彼女にそう言われるまで、実に十分以上もの間、考え続けていたらしい。この言葉のおかげで、私は冷静さを取り戻し、再び熟考に入った。
そう、別に、知っている名前を彼女に当て嵌める必要は全くないのだ。自分のこの直感で、「彼女のあって欲しい姿」にぴったりの言葉を見つけてみせるのだ。こういう試練こそ、「酒池肉林」のルーキーの腕の見せ所というものだ。
安直でも良いと言うなら——「幸せ」というのはどうだろう、安直さの極致のような気もするが、名前にもよく使われる漢字だろう。
すると、それと組み合わせになる漢字は何になるだろうか。幸せは——あればあるほどいい。直感的に、そう思った。「たくさんの幸せ」に包まれてほしいと、そういう思いを込めよう。
それで、彼女の名前は「千幸」に決まった。
◇
「なるほど、『千幸』ねえ……悪くないんじゃない?」
「そ、そりゃ、どうも……」
自分の部屋の窓を突き破って侵入し、不躾な物言いで自分を苛立たせ、先ほどまでは鬱陶しいとさえ思っていた彼女だったのに、突然「命名」しろと言われるとなんだか焦りが出てきて、素晴らしい名前を付けてやらねばと真剣に悩んでいた自分はなんとも滑稽だなあと思いながらも、ここまで真っ直ぐな感謝の視線を手向けられると、やはり少しばかり愛着のようなものが湧いてきてしまうというもので、そんな混ざり合う心境の中で、少々どもりながら、私はそう言った。
「千の幸と書いて、千幸かあ……」
千幸は、空を見上げながら、反芻するように、自身の新たな名前を口の中で繰り返した。
「良い名前だね、うん、良い名前だ」
既に日は傾き、紅く染まった空。光を横切る黒い影。夢の中だからだろうか、その夕焼けの景色は、現実のそれよりも遥かに美しく見えた。
千幸がこちらを振り返る。そして、満足げに微笑みを浮かべながら、こう言った。
「訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「一体なんだい、急に」
「『幸せな結末』って、何だと思う?」
◇
「『幸せな結末』……というと?」
予想外の質問に、思わず鸚鵡返しをする。
「文字通りの意味だよ。終わりを迎えるとき、どうすれば幸せでいられると思う?」
「それは……」
言葉に詰まる。いきなり、そんな死生観に関わるような質問をされても、困るというものだ。私はこれまでの人生約二十年、そういったことについて一切の思考を放棄し、のらりくらりと、そこから逃げ続けてきた。適当に生きてきたから、生き方についても適当にしか考えていなかったのだ。それなのに、その問いに対する回答を今、夢の中の存在に求められている。
当然、自分だけのオリジナリティ溢れる確固たる信念などはあるはずもなく、
「質問がちょっと漠然としていてよく分からないけど、例えば病院で生を終えるときであれば、友達とか、家族とか、そういう人たちに囲まれながら、みたいな、そういうのが良いんじゃないかと、私は思う」
と、あまりにもありきたりな返答をするほかなかった。
「そっか。まあ、そんなところだよね」
彼女の反応は、想像よりも遥かに素っ気なかった。その語気からは諦念が感じ取れたが、一方で私の言葉を聞いて安心しているようにも聞こえた。
「じゃあさ、もう一つ訊かせてもらいたいんだけどさ」
「……何?」
「それって、私は幸せにはなれないってことだよね」
◇
「……?」
私は再び困惑した。
「誰もそんなことは言っていないだろう。君が幸せになれないなんてことはないと思うのだけれど」
「いいや、違う」
彼女——千幸は強く否定する。鋭い眼光でこちらを突き刺してくる。太陽は既に地平線上に差し掛かっており、空はどんどん暗くなりつつあった。
「忘れたの? 私はあなたと違って、あなたが生み出したこの夢の世界の、一人の登場人物でしかないんだってことを。忘れていないんだったら理解できるはずだよ。私は、あなたのように天寿を全うすることはできない。それよりもずっと先に、あなたの目が覚めて、この夢の世界自体が終焉を迎えるから。もちろん、私たちの生活はそれからも続いていく。でも、そんな『未来』は、あなたがやって来る以前の『過去』がそうであるように、例えそれが幸せな日常に向かう筋書きであったとしても、一枚の紙っぺらに描かれた落書きみたいな、次元の異なる虚像でしかあり得ないんだよ。それでも、私たちは最終的にそこに飛び込んで行かなくちゃならない。だから、私が私——いや、千幸でいられるのは、今だけなんだよ。だとしたらさ、両親もいない私は、一体どこで誰と、終わりを迎えれば良いのかな? 幸せな終わり方っていうのは、そういうこと」
再び、言葉に詰まった。確かに、その通りだ。最初この世界が自分の夢の産物であると聞かされた時はてっきり、元々あった世界に自分が迷い込んだようなものだと思っていたが、この言い方では、どうやらそうではなく、私がここに存在していることを条件として成立している世界のようだ。冷静に考えれば、「夢の世界」なのだから当然のことだ。
しかし、こうも「夢の産物」にしては妙に人間味に溢れたヒトと接してみると、自分の都合で彼女らを、この世界を動かしてしまっていることがやけに申し訳なく感じられてきて、彼女のことも、出来ることならばこの世界から連れ出してやりたいなどと考えてしまう。
とはいえ、そんなことはきっと禁忌に触れるような行いに違いない。そもそも、出来るのかどうかも分からない。たぶん、出来ないだろう。
だからせめて、こちらでの「終わり」くらいは、幸せにしてあげたいと、そう思った。「夢の主」たる私の力を使えば、造作もないだろう。彼女は、彼女自身以外には「祈り」を使わないようにと言っていたが、彼女のために「千幸には友達がたくさんいる」という「属性」を与えてやることくらいはしても問題ないのではないか。
「確かに、そういう意味では『幸せな終わり』を迎えるのは難しいことかもしれない。でも、それだったら私が——」
「もし……」
私の言葉を遮るように、彼女が話し始めた。
「もし、例の力か何かを使って、私のことを幸せにしてやろうとでも思っているのだとしたら……できればやめて欲しいかな」
そう、彼女は驚くべきことに、私の力を拒んだのだ。自分からこんな話題を出しておいて、なぜそんなことを言うんだと問いたくもなったが、今はとてもそのようなことが言えるような空気ではないので、言わなかった。
「……なぜ? 君にとって、特に悪いことはないはず——」
「約束された、ハッピーエンド」
「……?」
「あなたが、『夢オチ』の次の次の次の次の次の次に嫌いなモノ」
「……それは確かにそうだが、それがどうしたって言うんだ? 別に、私がやろうとしていることがそれに該当するとは思えない。創作は創作、これはこれだ」
「創作だとか創作じゃないとか、そんなこと、今はどうだっていいんだよ。私が言いたいのはね、『幸せの押し付けは、不幸を許さないことと表裏一体だ』ってこと。『幸せであれ』っていう願いはね、不幸という『臭いもの』から目を背けたまま、『綺麗なもの』で蓋をしろ、って言ってるのと同じなんだよ。だからね、そんなディストピアじみたこと、私ははっきり言って御免なんだ」
「全く以って意味が分からないが……なんというか、申し訳ない」
すっかり言いくるめられ、私は頭を下げる羽目になった。夢の中でさえこんなことをやっているようでは、今後の展望も思いやられるものだなあと思った。いずれ社会に出たら、腰の折れ目の癖がついて、身体が七十五度の角度に曲がってしまうのだろう。恐ろしい話だ。
しかし、私に頭を下げられた当の千幸本人はというと、もはや特に不快感を示すようなこともなく、むしろどこか晴れ晴れとした様子であり、清々しいほどの透き通った声でこう言った。
「いやいや、謝らないでよ。それこそ、私が困っちゃうから。私が言いたかったのはね、私は自分ひとりでも、私自身のために幸せの形を見つけられる——いや、見つけてみせるんだってこと。誰かに頼らなくても、私自身の力で。
だってそれが、主人公っていうものなんだから!」
◇
彼女がそう言い終えると同時に、完全に日が落ち、辺り一面、真っ暗闇に閉ざされた。巨大河川の河川敷には、ちょっとした舗装路のライトと、両岸の街明かり、道路橋の光、そして頭上にある月と星々だけが、我々のことを微かに照らしている。
「夜が来たね。星が綺麗だ」
「ああ、そうだね」
これまた夢の中だからだろうか、都会の空であるにも拘らず、星々はどれもキラキラと輝いており、まるで南国の平原に立っているかのような気持ちだった。それゆえ、返事も少し適当になってしまったのは、少々申し訳ないとも思った。
「でも、夜はあと五分で明ける」
「……そいつはまた一体、どういう風の吹き回しだい」
「夜は、とっても静かだからね」
意味ありげな台詞を吐きながら、夜の河川敷をぐるぐると動き回る千幸。水面に鏡映しになる月の方向にちょうど影を作っているその姿は、可憐で美麗で儚げで、それでいてひどく気味の悪いものだった。
「それじゃあ、この夜が明ける前に、もう一つ約束してほしいんだけど、良いかな?」
「……なんだい、一体」
「最後の最後まで、絶対に目を逸らさないでね」
そして、彼女の言った通り、五分もしないうちに、夜は明けた。
◇
極めて短い夜を超え、朝がやって来る。暁の空は、我々二人をを歪に照らしている。過酷極まる昨日の一日を経て、体は疲れ切っていたはずなのに、不思議なことに、そんな疲れはどこかへ飛んで行ってしまったらしい。一秒たりとも寝ていないというのに。
「朝が来たね。一日が始まるね」
真赤な太陽に肌を染められながら、彼女は意味深長な言葉を投げかける。
「私はこれから学校に行くんだけど……ついて来ない?」
「何を言っているんだ、そんなことをしたら今度こそ言い逃れしようのない犯罪者だ、いくら何でもそんなのは御免だよ」
「……何回言ったら理解してもらえるんだか。この空間では、犯罪も何もありやしないよ。少なくとも、あなた自身にとってはね」呆れるように彼女は言った。
「そんなことは流石にもう分かっているさ、しかしね、夢だか何だか私にはよく分からんが、こんな現実味を帯びた空間で犯罪行為に手を染めようものなら、私自身の今後の人生設計に少なからぬ悪影響を及ぼすのは火を見るよりも明らかというものであって……」
言い訳のようだが、これは本心であった。いくら夢の中だからといって、そのような不道徳極まりない行為を行うのは、私のポリシーに反していた。純潔たる覚悟を、一時たりとも緩めてはいけない。
しかし、彼女は毅然としてこう言った。
「そう。だったら無理矢理連れて行くまでだよ。私からしても、あなたには来て貰わなくちゃ困るからね」
そして彼女は、私の手を強く掴んで、振り返りもせずにずんずんと歩き始めた。よく分からないが、彼女の方も本気なのだろうと思ったので、ポリシーに叛くことを余儀なくされたのを悔やみつつも、それ以上の抵抗はやめておくことにした。
◇
彼女に手を引かれるままに歩き続けていると、ほどなくして一軒のボロアパートに辿り着いた。彼女はそのアパートで立ち止まり、外付けの階段を上っていく。二階の廊下を歩いて三部屋目。鍵を開け、中に入る。
「お邪魔します」
そこは、彼女の自宅であった。
両親がいないと言っていたので、ここで一人暮らしをしているのだろう。彼女から受けるキビキビとした印象に違わず、部屋は概ね清潔であったが、やはり一人暮らしに特有のもの悲しさのようなものがあるのは否めない。その生活感があまりに絶妙でリアリティに溢れるものであったため、私は僅かばかり、気圧差や寒暖差などによるものと同じような吐き気と寒気とを覚えた。
キッチンに入った彼女は、何やら支度を始めている。
「私はこれから朝ごはんとお弁当を作るけど、まああなたは……そうだね、適当に待っててよ」
古びたアパートの一室でそんなことを言われても困るというものだ。そもそも私は自ら望んでここに来たというわけではない。とはいえ、今ここで彼女のもとを離れたら不吉なことが起こるような気がしたので、仕方なく部屋の様子を眺めることにした。
娯楽や装飾品、観賞物の類が一切排除された部屋は、なんとも言えないほど無機質で、それでいて極めて生々しいものだった。大学に入ってすぐ、上京後の一人暮らしに慣れるまでのあの地を這うような生活を思い出し、私は再び胃が痛くなった。すると、
「何か訊きたいこととかあったら、答えるよ」
キッチンから彼女の声が聞こえてくる。
訊きたいことは、山ほどあった。彼女自身のことについて尋ねても、彼女はそれがあたかも初めから決まっていたことかのような口ぶりでそれを語る。それどころか、私の部屋の窓を突き破って〈襲来〉してからというもの、彼女は常に未来予知のようなことをして私を導いてきたではないか! いや、私を導いているというよりむしろ、彼女が彼女自身を導くのを、私に見届けさせているようではないか。私が彼女にしてやったことといえば、口調と服を与えて、それから名前を与えただけだ。しかし、彼女はそれが非常に重要なことであるとも言っていた……と、思う。極めて難しい話だったので、全く以って理解できたとは言えないのだが。長考の末、私は手始めに、こんな質問をしてしまった。
「この生活……どう思ってるんだ?」
無礼千万としか言いようがない問いかけであることは重々承知である。しかし、私の「改変」の能力を以ってすれば、彼女の生活に一筋の光を差し込ませてやることも不可能ではないのではないかと考えたのである。
「へえ、そういった方面から攻めるんだ。意外だねえ」
彼女は驚きと感心を三対七の割合で混ぜたような表情をした。
「どう思ってるんだってのはつまり、こんな生活に満足してるのかってことでしょう? それだったら答えはノーとしか言いようがないね。私だってね、家族団欒というものを味わってみたかったよ。でもまあ、こうなっては仕方ないというかね、現状に満足とは言わないけど、甘んじて受け入れるしかないというか。そういう感じだよね。お金の問題に関してはある程度親戚に頼ってるけど、それも最小限ってところだし。まあそういうことだよ」
諦念に満ち溢れた表情で彼女は言う。
「とはいえ、さっき言った通り、あなたから名前を授かった時点で、私はこれまでの私とは違う存在になったわけだから、別に良いんじゃないかな」
またこの話だ。私は、揚げ足取りのような反応速度で、更なる疑問を投げかけた。
「待ってくれ。その別の私が云々ってのは一体どういうことなんだ? そもそも、ここは夢だけど夢じゃないとか、私の使命は何とかとか、色々言われているけど、はっきり言ってよく分からないんだ。教えてくれないか、例えば私の能力で、君の今ある生活を、より充実したものにしてあげられるのかどうか」
「……なるほど、結局のところ親切心ってわけか。ありがとうね」
そう言うと彼女は、皿を二つ、食卓に運んだ。
「朝食が出来たんだけど……食べる? まあ、あなたはご飯なんて食べなくても困らないんだろうけど、一家団欒の疑似体験ってことで、これもまた人助けだと思って。話は食べながらでもできるからね」
◇
こうして、彼女お手製の朝食を食べることとなった。半熟の目玉焼きに、米が一杯と、味噌汁が一杯。ごくごく普通の、ありふれた質素な朝食だったが、夢の中とはいえ文字通り五臓六腑に染み渡る味といったところで、私はありがたくそれを頬張った。
「それで、話の続きなんだけどね……」
「結論から言うと、私の生活を裕福にすることは不可能じゃない。両親がいないのは過去の出来事によることだし、それを改変することはもちろんできないんだけど、私の生活は今ここに確かに存在しているものだからね。でも、だからといってどうにかなるってもんじゃないよ。まあ、多少綺麗な建物に引っ越すくらいなら別に良いけど、普通の家は私には大きすぎるんだよ。広い部屋にいると、かえって虚しくなってしまう気がする。だから、今は別に大丈夫」
「そうか、余計なお世話だったか、すまないね……」
「ものが入った口で言われるとなんだかおちょくられているみたいに聞こえるけど……まあいいや。それで、あなたがすべきことは何かって話だね?」
「ああ、それが分かれば、私はそのための協力を一切惜しまないさ。尤も、私の身に危険が及ばない限りの話だけどね」
「そう。それはありがたい話だね。話を戻すと、あなたがここで何をすればいいかというと……端的に言ってしまえば、『この夢を完結させること』だね」
「『夢を完結』……? それは一体全体どういうことなんだい」
「簡単な話だよ。この夢は、あなたの脳が始めたもの——まあ、正確には夢とはまた違ったものなんだけど、夢だと思ってくれて構わないよ——なんだよね。だったら、それを終わらせるのもあなた自身。それだけの話だよ。単純でしょ? 例え話みたいにはなっちゃうけど……最初あなたと会った時に言った『明晰夢』っていうのはつまり、夢の世界の主導権が、あなたの潜在意識から、あなたの意識、つまりあなたが今あなた自身と認識しているものに移動したっていうことなんだよ。だから、あなたは、漠然とした意識が生んだ夢の物語を、しっかりした形で終わらせなければならない。具体的には、私に名前を与えてもらったのはそのためだね」
「なるほど、つまりは例の力を使って、この空間の不完全な部分を埋めるようにしていけば良いというわけか」
「まあ、そういう理解で良いんじゃないかな。それが終われば、晴れてこの夢から出られるってことで。よろしくお願いね」
「ああ。具体的にどうすりゃあいいのかは、未だに良く分からないけれどもね」
ほどなくして、私も千幸も朝餉を食し終え、いよいよ学校に向けて出発ということになった。
彼女は、朝食作りと並行して作っていた弁当を鞄に収めると、それをよっと背負い、
「じゃあ、行こっか」
と言って、外に出た。
◇
彼女の家から学校までは、歩いてせいぜい十五分やそこらといったところであった。今まで特に具体的な年齢については気に留めてもいなかったが、彼女は中学校の三年生であったようだ。
私は身体を透明にして(夢の中であるとはいえ、そんな芸当が出来てしまうことは未だに腑に落ちていないのだが)、校内に潜入することとなった。廊下やその他校内の施設を歩いて回った。周囲から見えていたら完全に不審者である。いや、見えていないにしても不審者は不審者であり、犯罪者は犯罪者なのだが。
授業時間中のことなどは、語るに値しないつまらなさであったので省くこととするが、特筆すべきは、この日の昼休み、彼女——つまり千幸と、昨日彼女が出会ってすぐさま意気投合したあの少女が再会を果たしたことである。まあ、いずれにせよいつかまた会う約束は取り付けていたわけであるし、同じ学校に通っているということも判明していたので、特段驚くことでもないような気はするのだが、彼女らにとっては特別なことだったのだろう。
廊下でばったり出くわした二人は、ほとんど同時に「あっ……」と声を漏らし、そして一秒ほどの間を開けて、またもやほとんど同時に「昨日の……!」と声を上げた。そして、二人で数秒間笑いあった。そして、向こうの方から「今日は来られる?」と尋ねてきたので、千幸は「うん、もちろん!」と返した。
その昼の会話は、たったのそれだけであったが、その一分にも満たないような会話からも、彼女らの仲が徐々に深まってきていることが如実に見て取れた。
それと、その昼休みの後の授業では、千幸の新しい友達——名前を何と言ったかは覚えていない、というか恐らく一度も聞いていないのだが——の様子を見に行ったのだが、彼女は典型的な「優等生オーラ」を身に纏っていた。陰気臭いというわけではないが、なんだか物静かそうな印象を受けるし、そのような印象は、千幸が彼女に初めて出会った時、彼女が河川敷の芝生の上で本を読んでいた事実と矛盾せず、むしろマッチする。なお、眼鏡はかけていないようだ。
ある意味では自分が「設定」してしまった千幸の性格と比較するというのもどうかとは思うが、彼女の、元気溌剌、天真爛漫の中にどこか厭世的で悲観的な思考がうようよと漂っているような性格と、似ているようで似ておらず、また似ていないようで似ているように思えた。
学校への不法侵入もとい潜入で得られたことは本当にこの程度である。逆に言うと、これら二つの出来事を除いては、限りなく退屈な一日だった。退屈で死んでしまいそうなくらいだったので、目が覚めてもしばらくは、高校課程以下の教育を行っている機関を無意識のうちに避けてしまうかもしれない。はっきり言って、こんなことは二度と御免である。
◇
放課後、下駄箱を出たところで千幸に話しかけた。都合の良いことに、千幸にだけは自分の姿を見せることも可能であるようなので、そのようにした。とはいえ、突然ぬるっと私が出てきたものだから、彼女は「わあっ⁉」とあまりにも典型的な驚き方をした。
「なんだ、あなたか……。あんまり驚かせないで欲しいなあ。心臓に悪いってもんだよ。それで、学校はどうだった? 楽しめた?」
無邪気な瞳で訪ねてくるが、私は単に「夢特権」を濫用していただけである。
「不法侵入大学生に中学校を楽しむもクソもあるか。君と君の友達のことを多少観察させては貰ったが、それを除けば終始退屈の極みで、干からびてしまいそうだったよ。正直なところ、最悪の一日だったね」
「ああそう。それは残念だったね。とはいえ、私の家にいてもそれはそれで退屈だっただろうし、あなた自身の家に戻っても仕方ないから、やむを得ない選択だったと思うよ? 学校生活っていうのは必要なものだし、避けては通れないからね。退屈だったのは確かだとは思うけど、多少いい刺激にはなったんじゃない? 童心に帰るっていう意味も込めてってことで!」
「ああ、そうかもしれないね。だがね、私には童心に帰っている余裕なんかないのさ。……それはそうと、君がさっき……ではなく、昨日と言うべきか。河川敷で意気投合して、今日の昼にも会っていた彼女は、一体誰なんだ——というか、彼女の名前は何なんだ?」
「名前?」きょとんとした表情で彼女は訊き返す。
「名前は……あの感じだとどうやら、無いみたいだね」
彼女は平然とした様子でそう言った。
「……無い?」
「そう。『昨晩』までの私と同じで、現在に至るまでの情報が一部抜け落ちてるんじゃないかな」
「……もうなんとなく分かったよ、それで、私に色々とやってくれって頼んでくるんだろう」
「お、だいぶ物分かりが良くなってきたじゃあないか」
「一体何様のつもりだい、その口調は」
「冗談冗談、まあとにかく、さっき言った通り、あなたにはちゃんとやる事やってもらわないとね! 何せ、彼女は私の親友になるはずの人なんだから!」
彼女は意味深長な、それでいて真っ直ぐな笑みを浮かべた。
◇
予想通り、私は再び「名付け親」になることとなってしまった。とはいえ、今度はそう気負うこともなく、すんなりと決めることが出来た。彼女の名前は、「仄香」ということになった。
「こりゃまた良いネーミングセンスだねえ。何なら私のより素敵かも? もう一回考え直してくれたっていいんだよ?」悪戯っぽく笑いながら千幸は言う。
「おいおい、冗談にしてもそんなことは言わないでくれよ。相当な難産だったんだぞ」
「ほほう、『難産』とな? ようやく私の『父親』——いや、『母親』?としての自覚が出てきたんじゃない?」
「やめてくれ。想像するにしてもなんだか生々しい」
苦笑を浮かべて私は言った。彼女にも、これから予定——さらに言えば、彼女つまり仄香と会う約束——があるだろうから、ひとまず話はここまでにしておこう。
「さて、少々長々と喋りすぎてしまったかもしれないね。君はこれから用事があるだろうから、行くといいよ」
「うん、分かった」彼女は頷く。
「それじゃあ、また——言い方が悪いが、見えないように遠くから覗いてるから、よろしく」
そう言って、歩き出そうとしたのだが、その瞬間、なぜか体全体が金縛りにあったかのように動かなくなった。やっとの思いで足元を見ていると、私の体は光を放っていた。そして——ゆっくりと、宙に浮き始めた。
「た、助けてくれ」
咄嗟に千幸に向けて助けを求める。
千幸がこちらを振り返る。彼女は、口をあんぐりさせて驚いていたが、ほどなくして何か考えるような姿勢になり、やがて状況を理解した様子で、「なるほどね」と意味ありげに呟いた。
「お、おい、これはどういうことなんだ!」未だ状況を呑み込みきれない私は叫ぶ。
「えーっと……心に余裕が無さそうだから、簡単に言うけどね? 今あなたはあの子——仄香に、名前を授けたでしょ? それによって、この世界から欠損していた重要な部分が補完されて、世界が正しく回り始めたんじゃないかなって」
「つまり……どういうことだ?」
「ひとまず今のところは、あなたの力による干渉は必要なくなったってこと。言うなれば『役者は揃った』ってところかな。だから多分、あなたは空から、私たちの行く末を観測することになるんだと思う。なんだか神さまみたいで、意外と面白いんじゃない?」
「面白いかもしれないが、はっきり言って理解できないよ。私が君と仄香に関して何かしただけで、この世界が『完成』しただなんて」
「まあ、そういうこともあるでしょうよ」千幸はあっさりとそう言った。
「とにかく、今の私にはどうすることもできないから、甘んじて受け入れてねってことで。今話せてるってことは、あっちでも私には話しかけられるってことだと思うから……退屈したら、喋りかけてくれてもいいからね?」
そんな話をしている間にも、私の身体はぐんぐん空に昇って行く。もう数十メートルには達しただろうか。
「……納得いかないが、そうさせてもらうよ」
そう答えたくらいのところで、彼女の姿は見えなくなってしまった。
◇
それからというもの、千幸を——というより、彼女ら二人の日常をひたすらに観察する日々が続いた。こう書くとまるで変質者のようだが、文字通りの天上人となってしまった私にはそれくらいしかすることがなかったのだ。
彼女らは、ほとんど毎日——もちろん、私が「天に昇った」日も含めて——例の河川敷で待ち合わせて、世間話に花を咲かせた。そしてそのたびに仲良くなって、二週間が経った頃には、二人は名実ともに親友といったところであった。
二人が別れて、千幸が家に帰った後、私は彼女に話しかけることにしていたのだが、彼女が毎日のように「今日の出来事」を話してくるものだから、そのたびに「全部見ていたから知ってる」と返した。それに対して彼女は「言い方がちょっと気持ち悪いぞ」と私を窘めたり、窘めなかったりする。何はともあれ、そんな日常の些細な出来事を実に事細かに、そして心底楽しそうに話してくる彼女の姿は、年頃の少女そのものだった。親がいなかった頃の彼女のことを想像すると、それだけで少々胸が痛むので、多少軽く流しつつも、彼女の話には、真摯に向き合ってやることにしていた。私の方も、そんな黄昏時の数時間を除いてはとてつもなく退屈であったので、そんな愚痴の類を彼女に聞いてもらっていたりもした。
夢の中の日々は、そんな風に過ぎて行った。なお、彼女が床に就き、目を閉じた瞬間に夜が明けるのは、いつになっても変わらなかった。
◇
そんな日常に亀裂が入ったのは、私が天に昇ってからちょうど二十五日後のことであった。その頃には、下界を眺めるのもそれなりに疲れるということで、特に千幸の方に動きがない限り、私は空の上から空を見上げてボーっとしている時間の方が多くなっていた。真下にある暗雲を気にせず青空を眺められるというのは、実に心地いい。
異変に気が付いたのは、その日の放課後だった。というのも、天上から彼女と話すときは基本的にこちらから話しかけるようにしていたところを、その日は珍しく彼女の方から私に話しかけてきたからだ。いや、「異変に気付いた」とは言っても、それ以前に何か嫌な予感がしなかったというわけではない。千幸の親友、仄香は、優等生であっただけでなく絵に描いたような健康優良児で、その日以前には一切欠席したことがなかったからだ。しかし、私は「まあ、そういうこともあるだろう」と特に気に留めていなかった。
私に話しかけてきたとき、彼女は慌てていた。息も絶え絶えで、目は大きく開いていた。そして、実に驚くべきことが彼女の身に起きていた。
彼女は、泣いていた。
それまで、常に元気溌剌かつ天真爛漫で、それでいてどこか飄々とした雰囲気を纏っていた彼女(そのような性格も、どうやら私が「作った」ものであるようだが!)が、目に涙を一杯貯めて、泣いていたのだ。
◇
聞くところによると、今まで無遅刻無欠席であった仄香が休んだということで心配になり、放課後に彼女の家に行ってみることにしたのだという。幸運なことに、担任からも「重要な書類があるから届けて欲しい」と頼まれ(まさに「テンプレ的」な展開である)、格好の口実を得ることが出来たようだ。そして放課後、彼女は仄香の家へと向かった。
それは、ちょうど千幸が住んでいるのと同じような、ボロアパートの二階の一室だったという。ノックを何回しても一切反応がないため、申し訳なく思いつつも部屋に入ってみたところ、和室に置いてあったちゃぶ台に一枚置いてあった置手紙を発見したらしい。
嗚咽を漏らしながら、千幸はその手紙を見せてくれた。そこには、短くこう書いてあった。
「多分これを読みに来てくれている、千幸さん
私はもうこちらにはいられないみたいです
本当にごめんなさい さようなら
短い間だったけれど、心の底から楽しくて、嬉しかった
今まで本当にありがとう 仄香」
私は思わず言葉を失った。つまるところ、仄香はこの手紙だけを遺して失踪してしまったのだ。
私は、彼女と直接話したことがない(もしかすると、千幸以外の人間にはそもろも話しかけることが出来ないのかもしれない)が、彼女に名前を授けた者として、一定のやりきれなさを感じざるを得ない。もちろん、千幸がそのことでかつてない悲しみに襲われているのならばなおのことである。
とにかく、仄香を捜し出さなければならない。
「とりあえず、警察に連絡しよう」
と私は主張したのだが、彼女はというと、
「なんで?」
とそれを一蹴した。
「なんでって、君……」私は問うた。
「警察なんて頼りにしてたら……そんなの待ってたら……本当にいなくなっちゃうよ……」
なるほど、彼女は警察に対して何らかのトラウマがあるらしい。それが両親についてのことかどうかは、あまりにも無粋なので尋ねないことにした。しかも、両親を喪ってからは金銭面を除いて自分ひとりだけで生きてきた彼女だ。多少そういった組織への不信感が強くても不思議ではない。もちろん、警察に相談しておくに越したことはないのだが……私は逡巡しつつも、普段の彼女であれば「ふーん、自分を捕まえられない夢の世界の警察なんかに頼ろうとするってこと?」とでも言いそうなものだなと思い至り、別の手段を検討してみることにした。
「ひとまず、仄香の家にもう一回行ってみよう、何か手掛かりがあるかもしれない」
「……」彼女は何も言わず頷いた。
◇
何分かの全力疾走ののち、千幸は再び仄香の家に到着した。そして、家の中にあるありとあらゆるものを注意深く観察した。
しかし、成果はなかった。
彼女は、どこか衝動に駆られるように、もう一度手掛かりを探そうとしたが、やはり何も見つからない。
私はかける言葉もなく、途方に暮れている彼女を見ていた。彼女は、ひどく汚れた窓の方を見る。外はひどい雨である。私がいる雨雲の上とは、まるで違う。
ふと、彼女の手が、そんな煤だらけの窓に触れた。
その瞬間であった。窓ガラスの、彼女の触れた部分が、青い光を放ち始めたのである。炎のように揺らめいて——今にも消えてしまいそうな、そんな輝きだ。
「……! ねえ、これって……」
彼女は突然生気を取り戻したように立ち上がり、そう訊いてきた。
「分からない、分からないけれど、何か普通でない現象なのは確かだ。もう一回、窓に触れてみてくれないか」
「分かった」彼女は答えて、再びガラスに手を触れた。
すると、再び触れた箇所が光った。その瞬間、彼女は小さく、驚いたような声を上げた。
「どうした」私は訊いた。
「声が……」震える声で彼女は答える。
「声?」
「仄香の声が、聞こえた……」
「本当か? 光っているところから?」
「そう、私が触れた瞬間、微かに聞こえたんだよ、声が……」
「となると、やはりその光は『そういうことか』」
「きっとそうだと思う、でもどうすれば……?」
至極まっとうな疑問である。はっきり言って、私自身にも、どうしたらよいのかは分からない。しかし、ただ一つ、試してみる価値が十分にあるやり方は存在すると断言できる。私は言った。
「とにかく、私と同じようにやってみるんだ」
「『同じように』って……」
「つまり、念じるんだよ」
「念じる……それって、あなただからできることなんじゃないの? 私にそんな力はない、あなたと会話して、あなたを世界の完成のために導くこと以外、特別なことは何も出来ない」
こんなことが起きているというのに、今更悲観的になってどうするというのだ。私は慎重に言葉を選んで、彼女を落ち着かせる。
「そんなことを言ったって、現にこのガラスは光ってるじゃないか。道があるとすれば、これしかないだろう。一度試してみようじゃないか」
「……分かったよ。そこまで言うなら、やってみる」
そう吐き捨てるように言うと、彼女は再び右手で窓に触れた。そして、目を閉じた。「仄香と会わせてくれ」といった感じのことを頭の中で唱えているのだろう。
すると、初めは今にも消えてしまいそうな儚さを帯びていた青い光も、徐々に輝きを増してきて、やがてそれは窓ガラス一面に広がった。
「わっ」千幸の叫び声が聞こえた。見ると、光が渦を巻いて、彼女を吸い込もうとしていた。
「どうしよう……本当に大丈夫なんだよね⁉」
答える暇もなく、彼女はその渦に呑み込まれていき、それと同時に、私の目の前も真っ暗になった。
◇
しばらくして目を開けると、そこは見たこともない異空間だった。形容し難い、禍々しい色合いの空と、触れたものを焦がすような見た目の地面。幸い、千幸が直接触れても害はないようであったが、長時間景色を見ていたら気が狂ってしまいそうな、そんな空間だった。私は依然として、宙に浮いたままだった。
ほどなくして、気を失っていた千幸が目を覚ました。
「ここは……?」
「私に訊かれても困る。唯一分かるのは、例の窓の裏側にある空間だってことだけだ」
「まあ、そっか……でも、ここにいるんだよね、仄香が……」
「ああ、そうだね……じゃあ、捜しに行こうか」
「うん」彼女は答えた。
そうして、我々はようやく歩き始めた(尤も、私の方は地に足を付けて歩いているわけではないのだが)、いや、歩き始めようとしたのだが……。
千幸が一歩踏み出した瞬間、耳を劈く轟音が聞こえ、我々は三歩ほど後ずさりした。しばらくして、砂埃によって遮られていた視界が開けてくると——そこには、仮面をかぶった巨大な男が立っていた。
◇
男は、一言も発さずにこちらに近付いてくる。身長は二メートル五十センチほどであろうか、およそこの世のものとは思えない、いや、おそらくはこの世のものではないこの巨漢は、とてつもない威圧感を放っていた。
我々の前に立つと、男はようやく口を開いた。
「これはこれは、珍妙な力で、実に面倒なお客様がいらしてしまったもので……」
その語調からして、我々は明らかに歓迎されていなかった。
そんな男に対して、千幸は勇猛果敢に食ってかかる。
「ねえ、あなたが仄香を連れ去ったの?」
「仄香……ああ、あちらではそう呼ばれているのですか。良いですねえ、実に素晴らしい。温もりを感じますねえ……。しかし、『連れ去った』とは人聞きが悪い。私はあくまでも、結晶を『持ち帰った』だけなのですからねえ」
「『クリスタル』って……仄香のこと?」
「ええ、そうです。誤解されるのも嫌なのでご説明しましょう。<rubyあれ・・は私がこの世界全域から寄せ集めた知識の残骸を凝縮したものなのです。自我を持ってしまったのは計算外でしたがねえ……。知識の結晶とはいえ、戸籍制度を含め、まさかあちらのシステムに一瞬にして順応してしまうとは……」
「それで……あなたは仄香をどうするつもりなの?」
「あなたには申し訳ないですが、この世界のために利用させていただきます。あちらの文明の発展に伴って、逆転的に水は涸れ、草も枯れ、大地がむき出しになり、ここはまさに終末世界の様相を呈していますが、知識の結晶の力を使えば、それらを蘇らせることが出来るのです。もはや私以外に誰もいなくなったこの世界に、生物が帰ってくるのです。ですから、あなたが来て下さったのも実は結構嬉しいんですよ。尤も、あなたが私に敵意を示していることを除けば、ですが……」
「その力とやらを使ったら、仄香はどうなるの?」
「残念ながら、消えてしまいます。しかし、これ——いや、彼女と呼んで差し上げましょうか。彼女は、この世界の新たな礎となって、草木や美しい鳥に姿を変えるのです。あなたには分からないかもしれませんが、私にとっては素晴らしいことなのです。……お伝えすることは以上です。宜しければ、お引き取り願いたいのですが」
およそ一メートルも身長差がある千幸に対して向き合うような姿勢になっていた巨漢は再び真っ直ぐ立ち上がり、我々の方に向かって手——正確には、手らしきもの——を翳した。
「待って!」千幸は叫んだ。男は手を下ろした。
「何です。用件はどうか手短に」
「うっ……」
千幸は何故か言葉に詰まっている様子である。
「どうしたんだ? 言えばいいじゃないか、返してくれって」私は言った。
すると彼女は、
「そうだよ、確かにそうだけどさ……きっと、そんな話の通じる相手じゃない」
とだけ言って、言い淀みながらも、男に向かってこう言った。
「仄香の方はなんて言ってるの? 本人の意思を聞かせてよ。そうしたら、私も納得するかもしれない」
男の方はというと、少し考えるような様子を見せたのち、
「ふむ……まあ、良いでしょう。最後に友人の顔を見たいという気持ちは、理解に値します」
と言って、「少々お待ちください」と、地面を強く蹴ってどこかへ飛んで行った。
◇
数分後、男が帰って来た。いや、正確には、もう一度飛んできたというべきか。辺り一面、再び砂埃に包まれた。
視界が元に戻ると、そこには檻に入れられた仄香の姿があった。仄香は、目の前に千幸がいることに気付くと、檻の鉄棒を掴んで、彼女に向かって叫んだ。
「……千幸さん⁉ どうしてここに来られたの……」
「手紙を読んだんだよ。あそこには、『捜すな』なんて書いてなかったでしょ? だから、祈ってみたの」
千幸は、そう言って笑ってみせた。親友の前で情けない顔は見せたくないということなのだろうか。
「そんなこと言ったって……今更どうにもならないよ……」
そんな精一杯の作り笑顔を前にしても、仄香はそんな悲観的なことを言った。
「……それって、仄香ちゃんはここで消えてもいいと思ってるってこと?」
「そんなまさか……! 私だって、本当だったら消えたくないし、ずっとあっちで暮らしていたいよ、そうに決まってる」
「本当だったら、って……」
千幸は言葉を失う。
「ご、誤解しないでね……! もちろん、千幸さんのことが急に嫌いになったとか、もう絶交だとか、そういう意味で言ってるんじゃなくて……でも、私がこの世界で、かくあるべしという宿命を持って生み出されたんだとしたら……その運命に逆らうことは、私にはできない。だから——私のことは、今までのことは全部忘れて欲しい。全部夢の悪戯だったんだって、そう思うことにして。本当にごめんね。今まで、本当にありがとう」
仄香が言い終えると、しばらくの間、沈黙が流れた。
「……お別れの言葉は、済みましたか?」男は二人に話しかける。
「……」
千幸は依然として口を開こうとしない。私は居ても立っても居られなくなって、彼女を叱咤激励した。
「おい、何を黙っているんだい⁉ 君の一番の親友が、今彼の手によって消し去られようとしているんだぞ! ここまで来て、彼女を助けようともしないで、一体どうするつもりなんだ?」
そんな私に対して、背を向けたまま、か弱く彼女は呟いた。
「良いの?」
「良いって……」
「そんなことして、本当に良いの?」
「おい、それは一体どういう……」
「あの男の人、言ってたじゃん。私たちの世界が発展したことで、鏡写しみたいに、こっちの世界が崩壊していったんだって。ここももとは、草木が生い茂るサバンナだったのかもしれないんだよ。そんな景色を求めて、あの人はずっと頑張ってきて……。それでどっちかを選ぶだなんて……私には出来ない……!」
……なるほど。良くも悪くも、優しすぎるということなのだろう。しかし、選択から逃れることはできない。
「でも、何もしなければ、それは仄香を見捨てるのと一緒だ」
「じゃあ、どうしたらいいの……?」
「……こんなのはどうだろう。知識の残骸とやらは、またこの世界にたくさん残っていて、ひたすらに頑張れば再び必要量を寄せ集めることが出来るってのは。なんなら、私の『力』でもなんとかなるくらいのことなんじゃないかと——」
「そんなことはどうでもいいんだよ!」
千幸が叫んだ。
「理屈なんかどうでもいい! 教えてよ! 私はどうしたらいいのか、教えてよ! ねえ!」
「教えてよ——!」
その刹那、今度は目の前が真っ白になった。つまり、光に包まれた。そして気が付くと私は、宙に浮かんでいるのではなく、再び千幸の隣に立っていた。
千幸がそれを望むのなら、応えてやるのが世の義理というものだろう。私は千幸を優しく抱きしめ、こう語りかけた。
「その通りだ。理屈は要らない。それなら、君が思うままに、その激情のままに、突き進んでしまってもいいんだ。後先のことなんて考えなくていい。目の前の選択を、ただ、自分の気持ちに素直にやってみせるんだ。それだけでいい」
すると彼女は、落ち着いた様子で「分かった」と一言だけ言った。そのとき、彼女の身体は、心做しか熱を帯びているように感じられたのだが——それは気のせいではなかった。
再び真っ直ぐと立ち上がった千幸は、激情の炎を、文字通り身に纏っていたのだ。
そして、彼女が歩き出すと同時に、私は再び宙を舞う光となった。
千幸は、男に相対してこう言った。
「申し訳ないけれど、仄香は連れて帰らせてもらうよ」
男の方はと言うと、
「ふむ……。しかしそれもまた選択。出来るものなら、ぜひやってみせてください」
と不敵な笑みを浮かべている。
「千幸さん⁉ そんな——」
「一回黙って、仄香ちゃん。あなたが何と言おうと、一緒に帰るから」
そう言うと千幸は、仄香が囚われている檻に手を伸ばした。
すると、驚くべきことが起きた。
炎に熔かされてか、はたまた想いの力によってかは判然としないが、檻の形が崩れ始めたのだ。
いや、それだけではない。毒々しい色をした大地までもが、ともに融かされていった。
「……! 建物が、研究所が、遺構が、崩れてしまう……!」
男は慌てて飛び立とうとしたが、ぬかるみ始めた地面に足を取られ、上手く身動きがとれない様子だ。
そして千幸は、とうとう檻を熔かしきった。かつて檻であったものは、徐々に形を変えて——一本の小さな木となった。その木を皮切りに、大地にはどんどん草木が生え始めた。
「おお……おお……! これが……!」
男は、もはやまともな姿勢すら保てていなかった。完全に足を取られた彼の仮面が外れた瞬間、少しだけ顔が見えてしまった。その顔は、この世のものとは到底思えない(実際この世のものではないのだが)異形のものであったが、その目には確かに、涙が浮かんでいた。
檻から解放された仄香は、ドロドロになった大地に呑み込まれそうになったが、呑み込まれる寸前に、千幸によって抱きかかえられた。
「帰るよ、仄香ちゃん」
彼女がそう言うと、さっきの青い光の渦が再び現れた。その渦は、今度は二人を優しく包み込むように、彼女らを取り込んだ。私も、渦の中に入っていった。
◇
目を覚ますと、そこは仄香の部屋だった。二人も、ほぼ同時に目が覚めたようだ。
彼女らは、むくりと起き上がって、お互いを見つめ合った。そして、大声で笑い転げた。そして、双方畳の上で仰向けになると、
「なんか疲れちゃったし……諸々のことは明日話そっか」
「うん、そうだね」
ということになったので、千幸と私は千幸の家へと戻った。
◇
「……なんというか、お疲れ様」
どう声をかけていいか分からなかったので、とりあえずそう言ってみた。
「いやいや、このくらい大丈夫だって」
彼女は、そう言って笑ってみせる。しかし、今回のそれが作り笑いでないことは、私の目にもはっきりと分かった。
その後、戦勝後の余韻に浸っていたのだが、ふと自分の手元を見てみると、自分の身体が徐々に消えて行っていることに気が付いた。
「うわっ!」
思わずそう叫ぶと、私は再び実体を持った人間の状態で地面に——正確には、千幸宅の床に——叩きつけられた。
「うわっ!」
呼応するように、千幸も叫んだ。そして、私の身体が消えかかっているのを見て、
「あっ、もしかして……」
と言った。
「これは一体どういうことなんだ⁉ 教えてくれ!」
「えーっと、私と仄香ちゃんの『物語』が一旦の終幕に辿り着いたから、役割を完全に終えたってことで目が覚めるんじゃないかな……」
「な、なるほど……」
もはやほとんど忘れかかっていたが、そういえばここは夢の世界だとかなんとか言っていた気がする。夢から覚めるのは自然の摂理というものなので、仕方がないのだが、しかしやはりどうしても未練のようなものは残ってしまう。
「これで最後だと思うから、ちゃんと伝えておこうかな、感謝の言葉を」
そして、彼女はこちらに近付いて、こう言った。
「本当にありがとう。この世界を、正しく作り上げてくれて。そして、正しく終わらせてくれて。私はね、ずっと『大人にならなきゃ』って思ってた。そうでないと、生きていけないと思ってたから。だから、自分の感情を優先させることなんてしたくなかった。でも、そういうことじゃなかった。別に、素直になれば良いんだよね」
「それを教えてくれて、ありがとう。それじゃあ——」
彼女の言葉が聞こえたのは、それが最後だった。
◇
そして、私は目を覚ました。そこは、私が普段使っているのと何ら変わりない、小汚い自室であった。放置された書籍には埃が降り積もり、机の上には書類が積み重なっている、そんな自室であった。
私は窓の外を見た。窓を突き破ってこの部屋に〈襲来〉してくる彼女は、当然ながらもういなかった。
諦めたように、私は机に向かった。あの夢の世界に迷い込む前何をしていたかといえば、締め切りに追われながら執筆をしようとしていたのである。執筆。ああ、その二文字熟語を聞くだけでひどい倦怠感に襲われる。私は、何度も躊躇しながら、ワープロソフトを開いた。
すると、驚くべきことが起きていた。私はずっと眠っていたはずなのに、その「文書1」なるファイルの中には、数万文字に亘る冒険物語がびっしりと書き記されていたのだ。
主人公の名前は「千幸」といった。
それで初めて、あの夢がただの夢でなかったということを理解した。
「夢だけど、夢じゃなかった……」
どこかで聞いたような台詞を口にしながら、私はそのファイルに名前を付けて保存し、そのままベッドに倒れ込んだ。
◇
結局、私の書いた——勝手に書かれていたと言った方が正しいだろうが——小説は、サークル「酒池肉林」の会誌に掲載されることとなった。
そして驚いたことに、その作品はかなりの好評を博した。いや、博してしまったと言うべきか。自分の手で執筆したわけでもない小説で称賛を受けるのは、なんだか気持ち悪いような気がする。もちろん、私の想像が生み出した物語であることに違いはないはずなのだが。
そして私は、後に引けなくなってしまった。「酒池肉林」の会長に「君の今後の活躍に期待しているよ」と就活のお祈りメールのようなことを皮肉抜きで言われてしまい、おそらく次回、そうでなくても次々回くらいの会誌には、また何かしらの文章——おそらく小説——を寄稿することになりそうなのだ。私だって、期待に背くような真似はしたくない。
そんなやる気も相まってか、以前よりもストーリーのアイデア出しにはそこまで苦労しなくなってきていた。いや、これは千幸たちのおかげということにしておいた方が美しいだろうか。
とはいえ、文章を実際に書いてみることに関しては、依然として困難を感じていた。
「あーあ、ここで寝たら全部書かれてたりしないかなあ」
なんて言いながらベッドに飛び込み、午前一時くらいに起きて絶望する、といったことが何度もあった。創作の世界とは違って、事は都合良く進まない。悲しいかな、それがこの世界の絶対的なルールである。やる気を持ってパソコンに向き合うのは大抵、そんなルールに怒りを覚えている時だ。それだけが今の私にとっての創作の原動力と言っても差し支えないだろう。
◇
ところで、勝手に完成していた小説の末尾には、千幸と仄香がアパートの同じ部屋に住まうことになった旨が記されていた。どうやら、仄香の方も一人暮らし状態だったらしいので、合理的と言えば合理的だ。まあ、窓の反対側の世界から来たなら、当然のことではあるのだろうが。
まあ何にせよ、この共同生活は私の与り知るところではない。この記述を見ると、「ああ、彼女らは私の手を離れた後も元気に暮らしているのだなあ」と、ある種の安心を覚える。
そういう風に信じているので、私は時たま、課題とか仕事とか、あるいはそれこそ創作の最中であるとかに行き詰まった時には、机のすぐそばにある窓に手を触れながら外の空を見上げて、千幸に思いを馳せたり、馳せなかったりしている。