捺火削がん

まず、ココロのスキマにスイッチを設置します

この社会にはまだまだ胎児や赤子への配慮が足りない

おことわり

私はこのブログにおいて脳から直接文章を書いているのですが、個人的な感情から、大脳の思想野を介さない執筆を行えるよう、米 Brainwriter 社にわざわざオーダーメイドで頼んだ「ハンドレス執筆くん ~ Thoughts-excluding Edition ~」を使用しています。

つまり何が言いたいのかというと、この記事はポリコレを叩きたいだけの劣悪な皮肉とかそういう類のものではない、ということです。

普通のハンドレス執筆くんはだいたい 75 万円くらいで買えるので、「一日に百万文字書きたい!!!」みたいなことを願ってやまない物書きの皆さんはぜひ検討してみてくださいね。ヨドバシカメラとかコジマとかそこら辺の家電量販店には普通に売ってます。Amazon よりは楽天の方が安いです。

さて

皆さんは、社会 というものを知っていますか?

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社会

社会というのは、我々が暮らしている世界の一種の運命共同体です。人々の集まり、そして人と人との 繋がりのことを、我々は社会と呼んでいるというわけなんですね。

 

 

社会には、実に色々な人が存在しています。歩きスマホをしていなくてもナチュラルに電柱にぶつかってしまう注意散漫な人とか、時給 500 円、うだつの上がらない会社員(※正社員)とか、借金がもう 5 億円くらいに膨れ上がって自暴自棄になって、昼間っから繁華街 300 m 圏内のやたら動物臭い路地裏で 2L の鬼ころしパックを直飲みしているベンチャー企業の元社長とか、幼稚園の年中の時に新宿地下迷宮で迷子になって彷徨った結果地下三十八階で「世界の真実」を知ってしまい、親諸共組織に抹消されてしまった少女とか、徘徊が行き過ぎた結果うっかりエベレストに登頂してしまい、今もなお地上 8848 m で救助ヘリを待っている老人とか、それはそれはたくさんの人が。

 

 

そんな、本当にめちゃくちゃ多種多様な人間が存在しているこの娑婆で、人々ができるだけ 解敵 に、楽しく、不快になることなく生活していくには、どのようなことが必要でしょうか。

 

 

 

 

 

そうです。配慮 が必要ですね。それはそれはもう本当にメチャクチャドチャクソハチャメチャにクソデカなスーパーウルトラグレート配慮が。

 

ええ、もちろん、我々は特に意識しなくとも、のことを いやって 誰かと関わり合うのが普通でしょう。もしそうでなかったら、とっくのとうに人類文明は滅びています。

 

 

 

 

しかし。

 

世界には、どうしても報われない人、救われない人というのがいるものです。人が自然に行う いやり では足りない、更なる クソデカ――

𝑲𝑼𝑺𝑶 𝑮𝑹𝑬𝑨𝑻 𝑳𝑶𝑽𝑬

が必要な人たち――。

 

 

そうです。そんな人たちを、我々は

𝑲𝑼𝑺𝑶 𝑮𝑹𝑬𝑨𝑻 𝑯𝑨𝑰𝑹𝒀𝑶

で救わなくてはならないのです。これは、使命 なのです。

 

そうはいっても

しかし。

 

やはり、一人一人の力には限界がありますし、幸福 に満ち溢れている人類全員が救いの手を差し伸べたとて、それで食いっぱぐれが完全にゼロになるわけではありません。

 

 

ですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身近なところから始めましょうよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤子を救え

皆さんにとって一番身近な人間は誰でしょうか。

 

ポケモンのぬいぐるみ? 確かにかわいいですが、とりあえず人間ではないですね。

 

中学受験の時からずっと使っている鉛筆? めちゃくちゃ長いですね。絶対まともに使ってませんよね。というかそもそも人間ではないのでダメですね。

 

スマホ? 現代人ですね。でも未だに iPhone 3G を使っている人はあまりいないと思います。

 

家族の写真? なんでそこまで来て「家族」が出てこないんですか?

 

 

かぞく~~!!」と元気な声で返って来ることを期待していたのですが、どうやらあなた方は小学校低学年の道徳の授業みたいに一筋縄ではいかないようですね。まあいいです。

 

 

 

かぞく~~!!」と元気な声で返って来た、という前提で話します。

 

そうですか、家族ですか。幸せですね。ですが、今回は家族については特に扱うつもりはありません。というのも、あなたの家族くらいになると世界全体で見れば相当幸せな方でしょうから、先に救いの手を差し伸べるべき人がたくさんいますからね。

 

では、我々が救うべき「身近な人間」は、一体誰なのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちゃんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤ちゃん(あるいは胎児)、またの名をエケチェン。この世に産み落とされたばかりの、文字通りウブな存在。あなたも昔はそうだったでしょう。

 

めちゃくちゃ身近ですよね。電車の中で泣いてしまって、親に一生懸命あやされているエケチェンというのは、月に一回は見かけるものですし、街を 30 分歩いていればエケチェンには必ず遭遇するでしょう。

 

そんな胎児・赤ちゃん(エケチェン)は、この世で生きて行くにあたって大変重大なハンディキャップを抱えています。

 

言語による意思疎通ができないこと です。

 

我々は、基本的には自然言語を使って日々の会話を行っています(機械語で会話しているという方はここでお別れです)。

 

しかしどうでしょう。エケチェンは言語をまだ覚えていません。世界を理解できないのです。これは大変なことです。

 

世界を理解できないエケチェンを、我々が救ってやらねばなりません。

 

どうしたらいいでしょう?

 

まず考えられるのは、エケチェンの方に言語を習得してもらうことでしょう。しかし、エケチェンが言語を習得するには、非常に長い時間が必要となります。エケチェンが言葉を覚えるまでの間、エケチェンは理解不能なものと向き合い続けなければなりません。

ですから、これはボツです。

 

 

「……なら、一体どうすれば?」という顔をしていますね。それが今日、私が伝えたいことです。

 

エケチェンが、理解不能な世界と向き合わなくて済む方策。

 

それは——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エケチェンの身の回りのものを、エケチェンに配慮したものにすること。

 

 

 

 

 

 

 

エケチェンが、我々基準の「世界」を見なくてもいいようにすること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうです。エケチェンの身の回りに置くものを、「世界を知らない者でも大丈夫」なものにすればよいのです。

 

 

 

……そんな概念的で抽象的なことばかり言われても微塵も分からない、分からなさすぎて和歌山になりそう?

 

フフフ。そんなこともあろうかと、私は書いてきたのです。

 

「エケチェン向けの文章」を。

 

 

 

これを読んでいただければ、私の言いたいことはもう一目瞭然どころの騒ぎではありません。数分で読んでしまえますので、ぜひ最後まで目を通してくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エケチェン向けの文章