捺火削がん

まず、ココロのスキマにスイッチを設置します

小説「誘拐ケーキ」

 私が次に誘拐する少女は、まんまと私の術中にはまった。今は私の目の前でケーキを頬張っているが、じきにその中に仕込んでおいた睡眠薬で眠りにつく。私はそれまで時間を稼ぎ、眠りこけたこの少女を娘のように負ぶって連れ帰りさえすればよい。

「今まで高くて買えなかったけど、モンブランってこんなに美味しいんだね! おじさん、ありがとう!」

 千秋と名乗ったその少女は、テーブルの下で足をぶらぶらさせながらそう言った。先ほどから頬についているクリームに頓着せずケーキに夢中になっているのもそうだが、中学三年生だという割にはずいぶん言動が幼げである。育ちが悪いのだろうか、と邪推した。

「それでおじさんは、なんでボクなんかにケーキをおごってくれたの?」

「いや、なに。ただ誰かに話を聞いてほしかっただけさ」

 それで今度はボク、ときた。ずいぶんと個性的な子に当たってしまったが、これで顔は端麗、プロポーションは均整のとれた美少女なのだからたまらない。彼女のぬいぐるみのような穏やかな寝顔を想像して、私は思わず舌なめずりをした。

「おじさん、お腹空いてるなら、なんで食べないの? 食べないと、死んじゃうよ」

「死にやしないよ。ケーキ一つくらい食わなくても人は死なないようにできてる」

「ふーん。じゃあそのチーズケーキ、ボクがもらっちゃっていいかな?」

 そう言って彼女は、身を乗り出して眩しいばかりの期待の眼差しを向けてきた。顔が至近距離まで近づき、さしもの私でも思わずどぎまぎしてしまう。

 まあ、私は別にケーキが食べたいわけではないから、構わないのだが……。少し、意地悪をしてみることにした。

「じゃあ、一口」

 そう言って、私はフォークでチーズケーキの先端を崩し、彼女に差し向けた。

「えー。おじさんのケチ。それに、あーんは中学二年生で卒業なんだよ」

 もっと早くではないだろうか……。困惑したが、まあこの反応は想定の範囲内だ。

「じゃあ、半分あげるよ」

「いいの? ありがとう!」

 心底嬉しそうに感謝を口にした彼女は、満面の笑みで私の皿を受け取った。

 そう、この顔が見たかったのだ。私の施しを受けて喜ぶ少女。単に誘拐するだけでは到底得られない感動である。

 

        ○

 

「ボクには人の心の闇が見えるんだよ」

 千秋は自慢げにそう語った。私のチーズケーキを頬張りながら喋っていたので、言葉はほとんど聞き取れなかったが、内容を推測することはできた。

「じゃあ、おじさんの心の闇を暴いてくれるかな。ちょうど悩みを抱えているんだ」

「ボクのことをエッチな目で見てる変態ロリコンおじさん」

 私は思わず飲んでいたコーヒーを思いっきり吸い込んで噎せてしまった。

「違うよ」本当だ。私はいわば蒐集趣味であって、少女性愛者ではない。「たとえば、仕事で何が悩ましいかとか、そういうことだ」

「いい冗談だと思ったのになあ」と彼女は言う。まあ、言ってみればこれもまた、私の一種の意地悪だった。私に仕事上の悩みだとか心の闇だとか、そういう類いのものは一切ない。上場企業の部門長として敏腕を振るっているからこそ、このような手間も時間もかかる趣味に没頭できているのだ。信頼があるからこそ、家庭の事情を理由に午後休暇を取っても怪しまれない。もちろん私に妻子などない。誘拐とは努力の賜物なのだ。

 だから、彼女に私の心の闇を暴けるはずはない。しかし彼女は、悩む素振りも見せず、しかも今までとは打って変わってごく静謐な目つきで、こう言ってのけたのだった。

「おじさんに闇はないよ。強いて言えば、明るすぎて周りのみんなを困らせちゃうんだよ」

「なんで、そう思うんだ」思わず問い質していた。

「理由なんてない。私がそう思うからだよ。でも推理することはできるよ。たとえばおじさんはスーツを着ているけど、平日の午後にスーツを着ているのは基本的にサラリーマンだよね。でも今はまだ午後三時過ぎで、普通の勤務形態ならまだ業務中の時間。ということは、許可をもらって会社から出てきたと考えるのが妥当だよね。候補は早退か外回り。前者だとしたら、特段の用事もなく早引けしても『何かあったんだな』と心配してもらえる立場なんじゃないかな。たとえば、みんなに優しくて尊敬されている部長とか……。後者ならもっと話は簡単だよ。外回りをサボっているお気楽サラリーマンに闇なんてあるわけないよね」

 そこまで一気に言い終えて、彼女はまだ熱いコーヒーを平気そうに啜った。その姿は、見た目の端正さも相まって、全くの別人化のように思われた。

「なあ、君は一体、何者なんだ?」

 大きく身振りして道化を演じてはみたものの、動揺は隠せなかっただろう。実際、彼女の話を聞いている間、私の目は泳いでいた。しかしそんな私の様子を見て、彼女はコーヒーカップをソーサーに置いて、突然――。

「あははははは!」と、笑いだした。「冗談だよ、冗談。おじさん、ビビりすぎ」

 その表情は、先ほどまで見せていたあどけないものに戻っている。

「ボク、これでも中学三年生なんだよ。ナウなヤングなんだよ。だから冗談も最新式なんだよ。古株のおじさんにはちょっと刺激が強すぎたみたいだけどね」

 彼女はモンブランに再び手を付けて、「頭を使った後の甘味は染み渡るなあ」などとのたまっている。最近の子供っていうのはこうなのだろうか。みんながみんなこうというわけではないだろうけど、認識を改めなければならないと思った。私はハンカチを取り出し、いつの間にか噴き出していた汗をぬぐった。

「あ、でも、ボクがエスパーなのは本当なんだからねー」

 いつの間にか、微妙に設定が変わっていた。

「あー美味しかった」と言いながら戻された皿には、明らかに半分以上のケーキが残っていた。いいのかと問い質すと、それが半分じゃないの、と言われた。どうやら、半径を半分にして考えたようだ。それでは四分の一になってしまう。やはり頭はあまり良くないらしい。教えてやると、露骨に不機嫌そうな顔になったので分けてやろうとしたのだが、騙されたとかなんとか言って聞く耳を持たなかった。

 私はケーキの味には頓着がなかったので、返って来たそれをコーヒーで一気に流し込んだ。

 

        ○

 

 私がトイレから帰ると、ちょうど彼女が自分のモンブランを食べ終わるところだった。わざわざ席を外したのは、相手がどれだけ自分を信頼しているか測るためだ。仮に意図に感付いているなら、勝手に逃げればいいだけのことだ。顔以外、こちらの個人情報は何も晒していないし、そもそもこの辺りは私の生活圏ではない。

 しかし、席に残っていてくれたとなれば、あとは計画を実行に移すだけだ。私は、話を引き延ばすのに専念することにした。

「君は、学校で悩みとか、ないのかい?」

「ないよ。おじさんと同じ」彼女はあっさりと答えた。能天気な子だから、意外ではない。しかし彼女は、こうも付け加えた。「でも、残念なことならあったよ」

「残念なこと?」その言葉の意外性に、思わずおうむ返しをしてしまう。

「一つは、半分だと思って食べたチーズケーキが本当は半分の半分だったこと」

 どうやら、まだ根に持っているらしい。

「それは済まなかったよ。もっと早く言えばよかった」

 思わず出たあくびを噛み殺しながら、私は言った。

「もう一つは、おじさんが自分で仕掛けた罠に自分でかかっているのに気付いてないこと」

 その言葉に、一気に身体が硬直する。しかし、先ほどと同じブラフの類いだろう。私は、「罠? どういうことだい」などと言ってはぐらかした。

「じゃあ質問。おじさんはたった今なにをしたでしょうか」

 質問の意図が掴めない。

「なにって、君と話をしているんだろう。そこの駅前で落ち合って、お茶をしているんだ」

「私の話を聞いてなかったのかな? たった今したことを聞いたんだよ。自分の行動も思い出せないの? ……じゃあもう一つ質問。おじさんにとって今、予想外の状況とはなんでしょう?」

「全く分からない」本当だ。私には見当もつかなかった。考えようにも、頭が回らない。

「私が眠そうなそぶりを見せないこと、でしょ?」

 ぎくり、とした。そして、これはブラフではないと確信した。しかし、次の言葉が出てこない。

「残念無念、千秋ちゃんは、おじさんの企みに最初から気付いていたのでした! 普通の女の子が、ケーキに錠剤なんて入れてそのまま飲み込むと思わないでよねー。それとも同じ手口に引っかかっちゃったおバカちゃんもいるのかな? 運が良かったね! いや、今回の運が悪かっただけかな? まあ、睡眠薬なんてたくさん飲まなきゃすぐには効かないもんね。騙す側も大変だよね。今回騙す側をやってみてすごくハラハラドキドキしちゃったよ! 目を見つめながら話しておじさんが目を逸らしている隙に、錠剤をわざとたくさん残したチーズケーキに入れて、返されても頑なに断る。おじさんが残りのチーズケーキをコーヒーで一気に流し込んだときなんか、思わずガッツポーズしそうになっちゃったよ! これだから賭けは面白いんだよね。うんうん、分かるよ分かる。でも残念だったね、おじさんのはビギナーズラックだったんだから、早めに手を引くべきだったんだよ」

 私の脳内には、すでにそれらしい声が流れているだけで、それを文字情報として脳内で処理することはすでにできなくなっていた。私はついに限界を感じ、机に突っ伏して目を閉じた。

「ごちそうさまでした。今度は私と、ちゃんとお茶しようね!」

 チリンチリンと、店先の鐘が鳴る音を聞いて、私は意識を手放した。