捺火削がん

まず、ココロのスキマにスイッチを設置します

小説「幸福追求入門」

はじめに

※ この記事は、某校文藝部「Air Mail vol.33」に寄稿した作品を転載したものです。

 

高二夏、森見登美彦ごっこで遊んでいた頃の、全力投球の作品ですね。

頭が痛くなる。

 

 

 

本文

「幸福」をご存知だろうか。この国でもっとも有名とされているとある辞書によれば、幸福とは「心が満ち足りていること。また、そのさま。しあわせ。」であるそうだ。しかし、我々が今日こんにち生きている社会において、そのような紋切り型の辞書的説明が言うところの幸福が存在し得ないということは、簡単にご理解いただけるかと思う。社会とは、つらく、きびしく、遍くすべての人間の気力と体力を奪い、そしてその対価と言ってはした金をポイと渡して何かしてやったような顔をする、人類がおのれを疲弊させ最終的には絶滅に追い込むための緩やかな自滅装置である――いや、そうとしか思えない、人類史における最悪の発明、あるいはユネスコが泣いて逃げるほどの負の無形文化遺産である。私はいまだに、社会なるものは、何か人類の認知を超えた形而上の存在が我々の傲慢に対して課した永遠の枷、あるいは、世界全体を牛耳っている絶対的支配者がこの世のすべてを彼に捧げさせるために作り上げたある種の永久機関的な搾取のシステムか何かなのではないかと疑っている。

 話が逸れたが、とにかく、このような社会にあって、辞書的な意味での「幸福」なるものが本当に自分の中に存在しているかのように錯覚している者は、既に社会への隷従を甘受した、意思を持たない何者かに成り下がっているといえるだろう。私はその点に早いうちに気付くことができたので、「幸福」であった。具体的に言えば、私がこのような啓示を得て、「幸福の求道者」となったのは、高校二年生の夏休みであった。しかし、私がこのある種のニルヴァーナに到達するに至ったのは、何も私一人の力によるものではない。私は仏陀でもなければ、最近千日回峰行を見事成し遂げ、その時初めて元号が変わったことを知った僧侶でもないし、一人で悟りを得たと勘違いできるほど良識に欠ける人間でもない。

 

 そう、あれは、茹だるような暑さのせいで石川五右衛門同然の状態になっていた、夏の日のことだった。

 

                 *

 

 私はその日、何となしに学校へと向かっていた。私は運動部に所属して自らの肉体を絶対的苦役に供するほど阿呆ではなかったし、文化部にしても、例えば天文部のように日々宇宙の神秘なるものに触れて夢を語るほどロマンチストではなく、あるいはクイズ部のように衒学的でもなく、物理部のように液晶を前にして首を人間には到底不可能な方向に曲げることを趣味にしているような露悪的でナンセンスな人間でもなかった。つまり、紛うことなきプロ帰宅部員であった。いや、正確に言えば、数学部とかいうやつに一応籍を置いていないこともないのだが、高一の春、てっきり高校数学を体系的に先取り学習できる部活だと思っていた私の目の前に現れたのは、「イプシロンデルタ論法」なる、やけに名前が格好良く、そして全く以って意味不明の論法であった。私だって無知ではなかったので、三段論法であるとか循環論法であるとか、論理のお作法とか誤謬を含む論理とか、そういったものを知らなかったわけではない。ゆえに、私が知らない論法ということは、よっぽど有用な論法なのだろうと思ったので、友人と侃々諤々の大論争を繰り広げた時などに、ここぞという場面で「しかしね君、任意の正なる実数イプシロンに対し、ある正の実数デルタが存在してだね」とイプシロンデルタ論法を事あるごとに展開していたところ、友人が限りなくゼロに近づくこととなった。ここで初めて、私はこの論法があくまで数学的に極限的なものに対してのみ使えるものなのだということに気付いた。そして、それ以来数学部には一度も顔を出していない。結局のところ、私は当時、正統なる帰宅部員だったのだ。

 そしてそんな帰宅部員の私がなぜわざわざ学校にまで赴いてみたのかというと、帰宅部員の間で夏休みに一度開催され、最強の帰宅部員を決める「帰宅コンテスト」に参加するためなどでは断じてなく、本当に単に気が向いたからだ。イプシロンデルタ論法のせいで友人の数がゼロに漸近し、大事な高校二年生の夏休みを限りなく無為に過ごす以外の手立てが残されていなかった私にとって、それがせめてもの気散じになるのだと思ったのだろう。いや、あるいは、夏休みかくあるべきという模範的な例を眺めて、どこか感傷的な気持ちになるという、この上なくシニカルで卑屈でマゾヒスティックな自傷行為に、無意識のうちに手を染めようとしていたのかもしれない。だからなんにせよ、私のその意味なき訪問は、何の意味も持たないままに終わるはずであった。いや、終わるべきだった。あのとき、「彼ら」に見つかってしまったことを、私は今でも後悔しているし、今後においても終生後悔し続けることになるだろう。

 

                 *

 

 ひととおりの「青春鑑賞」ないし「青春感傷」を終えた後で私を待ち受けていたのは、嫌になるほどにしつこい「青春干渉」だった。

 昇降口の扉を潜り抜けようとした私を、明らかに声を張り上げ慣れていない謎の男が、終始声を裏返らせながら大袈裟に呼び止めた。

「おい、そこの似非数学野郎!」

 似非数学野郎とは、若気の至りで数学的知識をぶんぶんと振り回して校内を縦横無尽に駆け回り、通り魔的にその衒学性をぶちまけたある男が、その功績を称えられてつけられたあだ名蔑称である。そしてその男とは、残念ながら、私のことであった。私は不名誉にも、イプシロンデルタ論法により失った友人及び無遠慮な同級生から「似非数学野郎」と呼ばれてしまっていたのだ。当時に立ち返ってもすでに一年以上はそのような屈辱的なあだ名で呼ばれていたので、正直言って慣れてしまっていたような気もするのだが、しかし慣れとはこの世で最も恐ろしいものだ。そのあだ名で呼ばれるたびに、私は断固として主張した。「大学数学ならいざ知らず、高校数学までなら私は本物だ」と。実際、イプシロンデルタ事件から勉強を重ねた私は、校内での数学の成績において上位三割くらいには入っていた。しかし、中途半端に思慮分別のある生徒に「数学の人」と呼ばれても全くいい気はしなかったので、おそらくそういった問題ではなかったのだろう。

 そういうことであったので、例によって私はこう答えた。

「似非とはなんだ、責めるなら数学部の衒学連中を責めるがよい」

 謎の男は言った。

「おい、似非数学野郎。『弱者搾取』と三回続けて言ってみろ」

 私の反論はきれいさっぱり無視された。はなから他人ひとの話を聞くつもりなどなかったのだろう。なんとも失礼な男だ。

 しかし、そんなあまりに不躾な彼の態度に気を取られるあまり、私は一つの罠にかかっていた。

「良いだろう、言ってやろう。弱者搾取、弱者搾取、じゃくしゃしゃくす……」

 そう、私は、彼がわざわざ「三回言え」と命じた意図について、これっぽちも考えていなかったのだ。後になって冷静に考えてみれば、あれは早口言葉のルールに則って行われている会話であった。竹藪に竹立て掛け云々といった露骨な早口言葉でなかったがゆえに、それが彼の横柄極まる態度に巧みにカムフラージュし、私を言語の落とし穴の中に見事に捕えて見せたのだ。

 絵に描いたようなしたり顔で、彼はこう続けた。

「お前は『弱者搾取』と三回続けて言うことができなかった。ゆえに、お前は滑舌という点において絶対的弱者だ。際限なく搾取される迫害対象だ。お前に一切の人権は認められず、ゆえに健康で文化的な最低限度の生活も保証され得ない」

 私は憤慨した。同じ学校の生徒とはいえ、初対面の人間に対してこのような態度が許されるものだろうか。第一、彼は自分自身の素性すら明かさず私を一方的にこき下ろしているのだ。私はたまらず反発した。

「おい、私のことがそこまで憎いか」私は叫んだ。

「おいおい、俺の話が最後まで聞けないか」彼は返した。そして、こう言った。

「お前が憲法二十五条によって保護されないのはなぜだと思う?」

「あなたがどんな差別的な観念を内面化しているのかは私の与り知るところではないが、少なくとも私は日本国籍を有している。生存権は遍く人類に最初から備わっているものだろう」

「いいや、そんなことは関係ない。それこそ、お前が天賦人権論の熱心な支持者であるかどうかも、俺の知ったことじゃあない」

「じゃあ、なんだと言うんだ」

「お前が『似非数学野郎』であり、そして今この学校という世界において生存権を剥奪されようとしているのは、我々が生きているこの社会なるものが幾年にもわたって右往左往した結果、やがて袋小路に迷い込み、そういった不条理を良しとする、社会とは似ても似つかない何かへと変容してしまったからだ。そして、似非数学野郎であるのみならず、滑舌弱者でもあるということが我々に知られてしまったお前は、既に我々と共闘する仲間の一人だ」

 

 私には意味が分からなかったが、それが、私が「幸福追求同好会」などといういかにも胡散臭い名前の同好会に足繁く通うことに――というか、通う羽目になった最初の原因であった。

 彼の名前は木ノ原宗平と言った。驚くべきことに、彼は私と同じクラスの人間だった。私自身、自分ではクラス全員の名前と顔を一切の誤りなく完全に記憶しているつもりだったのだが、小社会たる「クラス」という空間の中では、こういった奇跡的なすれ違い、そして邂逅も、十分に起こりうるものであったようだ。

 あの後、彼にも「弱者搾取」と三回言わせてみたところ、二回目で日本語ならざるものを発したのを見て、少しでも安心しなかったと言えば、それは嘘になる。

 

                 *

 

 その翌日、私が予め伝えられた場所に来てみると、そこには部室棟の一室を贅沢に使った幸福追求同好会の部屋などがあるはずもなく、大方の予想通り、雑草の生い茂った使途不明の区画があった。今思えば、この時点でこんなおかしな同好会に籍を置くなどということが私の人生において空前絶後の失敗となりうることは容易に想像できたのではないかと思ってしまう。私はあのとき、確実に何らかの道を踏み外したのだ。それは人の道かもしれないし、畜生道かもしれない。少なくとも、私が今立っているこの場所は明らかに何らかの道の延長上にあるわけではなく、したがって私は前にも後ろにも進めないという状況にある。つまり、人とも畜生ともつかぬ何かとして彷徨い続けている。しかし、踏み外すのがさらに遅ければ、私はより魑魅魍魎に近く、そして人間とは程遠い何かに成り果てていたのではないかとも思う。その意味では、彼らに感謝すべきかもしれない。

 何はともあれ、私がその「雑草の縄張り」とでも言うべき場所に「お呼ばれ」したのは、「幸福会議」なるものに参加するためだった。幸福会議とは、今どき怪しげな新興宗教でさえ躊躇いを隠せないであろう程度には怪しく、そしておかしな名前であったが、それが「幸福追求同好会」という団体の活動の主軸となるものだったのだ。

 

 そうして、私を交えた最初の「幸福会議」は始まった。そこにいたのは、私と木ノ原と、そして面識のない二人の男と、これまた面識はないが、その「イケてる」風貌からして明らかにこのような草まみれの土の上で穢れまみれの「イケてない」奴らと関わりあうべきではないと思われる一人の女がいた。つまり、「幸福追求同好会」には少なくとも五人の部員がいた。その全員が、私と面識がなかったものの、私と同じ学年、つまり高校二年生だった。

 二人の男はそれぞれ下田夏樹、下田冬樹と言った。「それぞれ」と言ったが、彼らをその顔面だけで区別してみせることはほぼ不可能に近い。つまり、彼らは一卵性双生児であった。一卵性双生児が同じ学校に通い、そして同じ同好会に所属しているというのは、かなり珍しい話だと思うが、彼らの所属先がこんな得体のしれない同好会であることに関して、彼らの両親には同情せざるを得ない。そして、おそらく親の粋な計らい、あるいは彼らの暗黙の裡の合意で、夏樹は太陽の描かれたTシャツを、冬樹は雪だるまの描かれたTシャツを、それぞれ着用していた。ドが付くほどのファッション素人からしても明らかに「ダサい」格好ではあったが、そこには一定の合理性というものがあったし、それはこんな同好会に所属している人間としてはむしろ相応しいほどのものだったと思う。

 一方、こんな同好会に所属している人間としては全く相応しくない風貌を備えている謎の女の名前は小野美里と言った。そして彼女は、哲学だか倫理学だかのよく分からない本を読みながら、いかにも「こんな意味不明の会合に興味はない」といった感じを醸し出していた。ならばなぜここにいるのかという話だが、おおかた木ノ原の横暴によって連行されてきたといったところだろう。もしそうでないというのなら、ソクラテスやカント、ニーチェスピノザ、果てはシッダールタや孔子までもが、その枕をびしょびしょに濡らすことになるだろう。

 

 ところで、ここで私の中に一つの疑問が生じた。

「会員はこの四人だけなのか?」

「ああ、こいつらだけだ。だが、こいつらは呼べばいつでも必ず来てくれる」

 木ノ原が答えた。随分と時間に余裕のある暮らしをされているようだ、と思いかけたが、とても「似非数学野郎」にして帰宅部の私に言えたことではないと気付き、一瞬にして脳内から葬り去った。そして、疑問の続きを口にした。

「うちの学校で同好会を設立するには、まず最低でも六名の初期会員を集めて、必要書類を生徒会に提出し承認を得たのち、職員会議でそれが認可される必要がある。この『同好会』には四人しか人がいないように見えるが、本当にこれは同好会なのか?」

 私が同好会設立の手続きを詳細に覚えていたのは、一年の頃に若気の至りで立候補した生徒会役員選挙に運悪くも当選してしまい、当時の生徒会長――彼は岩のように頑固で、そして台風のように自己中心的な人だった。時代が時代なら「世界は自分を中心に回っている」とでも主張して異端審問にかけられ死刑に処されていたであろう――に散々こき使われあらゆる雑務を担当していたからだ。当時同好会設立申請をしてきたのは「空気清浄同好会」なる集団で、彼らは、運動部で非人道的な運動に隷従し骨身を削っているような人間(主に男)が学校内に撒き散らす臭気を根絶するためにまずは運動部員の「処理」が必要だと主張する、文化部系の男女からなる危険な政治団体だった。当然のごとく却下されたが、彼らの熱い要望により、のちに校内におすすめの制汗剤や柔軟剤などを紹介するポスターを掲示することとなった。私は帰宅部として中立を保ったことを今でも誇りに思っている。

「ああ、随分と鋭いんだな。その通り、同好会というのは正確には間違いで、正式な言い方をすれば『同好会を名乗っている何らかの集団』ということになる。そしてお察しのとおり、ここにお前が加わったとて、会員数は五人。あと一人とはいえ、焼け石に水といったところだ。つまり、お前、似非数学野郎をこの『幸福追求同好会を名乗っている何らかの集団』に招き入れたのは、これを以って正式な同好会となるに至る道を一歩進みたいといった打算的な理由からではなく、あくまで我々の幸福追求という大義に加わってもらうためなのだ」

 彼はこんなに長い台詞を息継ぎもせず僅か三十秒弱で言い切ってしまった。随分と雄弁で饒舌な奴だ。やけに大袈裟な言い回しを使うものだから、こちらも彼のことを「似非文学野郎」とでも呼んでやろうかと思ったのだが、それは単に相手に私を「似非数学野郎」と呼ぶ大義名分を与えてしまうだけなので、やめることにした。

 とはいえ、よく「部活もの」の作品においてみられるような「部員集め」の過程を踏む必要がないと分かったのはよかった。こんなへんてこりんな同好会の会員を増やすために恥も外聞も捨てて校内を縦横無尽に駆け回るなど、ちゃんちゃらおかしな話だ。イプシロンデルタ論法に耽溺していた頃の私なら、ともすれば喜んでこの馬鹿げた任務に参加したやも知れぬが、私はもはやそれほど若くない。私に欠落していた「羞恥心」は、皮肉なことに、衒学性の権化とすら言える数学部によって植え付けられたのだ。

 

 ほどなくして、再び木ノ原が口を開いた。

「では改めて、似非数学野郎が加わってから初めての幸福会議を始めよう!」

「待って」

 口をはさんだのは、なんと小野だった。小難しそうな本を片手にその暴力的なまでの衒学性を放ち続けている謎の女が遂に口を開いたのだ。その口から衒学ビームが飛び出してくるのではないかと思い、私は思わず目を塞いだ。しかし、彼女の口から飛び出してきたのは、私にとって悪くない話だった。

「君は彼の事を此れから常に其の名前で呼ぶ積りなのか。せめて其の樣な屈辱的な綽名で無く、もっと名前らしい名前で呼んだらどうだ」

 その通りだ。私が似非数学野郎と呼ばれ続けることで、本当の名前を喪ってしまったらどうする。それはどこぞの映画の温泉宿の主と何ら変わらない。私は名前を取り戻し、幼い頃の無垢な記憶を携えてまともな人間たちの国へ帰る必要がある。

 とはいえ、彼女の喋り方は妙に気味が悪かった。まるで衒学が肉体を持って喋っているかのような、そんな感覚を覚えるのだ。口調も妙に古風で、かつ高圧的だったので、きっと昭和初期の文豪か何かの生まれ変わりなのだろう。彼女こそ、「似非文学野郎」に相応しい人間だった。なんなら、似非の二文字すら取れて、「文学殿下」とお呼びしてもいいかもしれない。そして、そんな彼女は、明らかにこの場に存在するに相応しい人間の一人だった。「お前らには興味がない」といった衒学的なしぐさも何もかもひっくるめて、すべてがこのどうしようもない人間の集いに適しているように思われた。それで私はようやく、ソクラテスやカント、ニーチェスピノザ、果てはシッダールタや孔子までもが、実際にその枕をびしょびしょに濡らしていたことが分かった。

「でも、似非数学野郎は似非数学野郎だ。彼に我々のような名前があるわけないだろう」

 木ノ原は言った。

「失礼な、人をペットみたいに言いやがって、前にも言った通り、私はれっきとした人間であり、日本国憲法によって人権を保障されており、ちゃんと名前が存在する」

 あまりにも人を馬鹿にした発言だったので、私は思わず口を挟んでしまった。

「ところで」「その似非数学野郎さんの」「名前を」「まだ」「「聞いてないよ」」

 息ぴったりにそう言ったのは、下田兄弟だった。シラフでこれをやっているのなら大したものだが、シラフでないとしたら二人とも警察送りになってしまうので、心苦しいがシラフであると判断することにした。あるいは、彼らがこれまでの人生で様々な困難に対峙してきて、その末に編み出したのがこのあまりにもテンプレ的過ぎてきょうびフィクションの世界でも見ることのない双子像なのかもしれない。

 私は妄想力だけでこの十六、七年を駆け抜けてきた身なので、こんな可能性についても考えた。こんなに似ている下田夏樹冬樹兄弟は実は血のつながりがなく、本当の兄弟になるために顔を変え、服装のダサさも同水準にし、そして極め付きにこの交代式の会話術を身に着けたのではないかと。しかし、こんな想定に意味はないし、架空の物語にしても絶望的なまでに面白みがないので、私の妄想には急ブレーキがかかることとなった。

 私は彼らに自分の名前を教えた。すると、小野が真っ先に口を開いた。

「隨分と面白みに缺ける本名だ。『似非數學野郞』の方が餘程滑稽だが、其れは餘りにも可哀想だから『數學』乃至『數學君』とでも呼んで遣る事にしよう。如何だろうか」

 その言葉の響きは先程よりもさらに衒学的で、私は思わず斃れそうに、いや倒れそうになった。彼女の話をしているだけでも彼女の衒学性は私に干渉し、ニンニクの臭いのようにこびりついて離れない。今思い返しても、間違いなく人類で一番危険な人間だった。私は、数学部やクイズ部の衒学性に面食らっていた自分を恥じた。

「確かにそれがいい。いちいち似非数学野郎なんて言ってたら長ったらしくてキリがない」

「僕らも」「それが」「「良いと思う」」

 彼らが彼女の溢れんばかりの衒学性に惑わされて迷いもなく合意してしまったので、民主主義的多数決の原則に照らして、私はまたも本名で呼ばれる機会を奪われることとなった。然るべき機関に人権侵害であると訴えれば勝てるのではないかと思ったが、明らかに裁判費用の無駄なので、その手は採らなかった。こうして、私のこの同好会でのあだ名は「数学」となった。

 

「では改めて、幸福会議を始めよう」

 木ノ原が大きな声で言った。私のやる気のない拍手と、下田兄弟のタイミングが完全に一致した気味の悪い拍手、そして小野が片手に持った本をもう片方の手で叩く衒学的な音とが重なり合って、この会合の物悲しさを物語るが如き沈黙が雑草生い茂る辺り一面を包み込んだ。しかし、木ノ原はそんな絶望的な空気をものともせず、持ち前の大声で話を続けた。

「我々の目的は、ひとえに、人類全体の幸福を向上させることである!」

 再び、奇妙なカルテット、あるいはトリオが奇妙な拍手を披露した。おそらく木ノ原以外が何かをしゃべることはないと思ったので、拍手もそこそこに、私は生まれつきの野次馬根性を遺憾なく発揮して、いかにも力を抜いた感じでこう叫んだ。

「具体的には、何をするって言うんだー」

「我々は、迫害されているんだー」

 あろうことか彼は私の喋り方を真似て私を馬鹿にしてきた。私は憤慨した。

「質問に答えろ、小学生のように『マネするなごっこ』をできるほど私は子供ではないし、そして寛容でもないんだ」

「まあまあ、ゆっくり話を聞いておくれよ、昨日言った通り、お前も俺も『迫害される者』なのさ。この学校という社会において、ひいては日本社会全体において、幸福追求権を剥奪され、憲法の保護対象からきれいさっぱり葬り去られる。それが我々だ」

「虛言癖も大槪にしろ。お前の惡い所は、そうやって持ち前の饒舌さで以て純然たる事實を歪曲し誇張し、眞實とは程遠い何かとして語って仕舞う所だ。我々は單に學校という社會に於けるはぐれ者であり、お尋ね者であるという、唯其れだけの話だ」

「君が」「喋ると」「頭が」「痛くなる」「どうか」「今すぐ」「「黙ってほしい」」

「ええいうるさい! 黙って話を聞け! 俺は会長だ、ここでは俺が法なんだ、治外法権というやつだ、仮にお前らが生徒会の連中みたいに優等生だったとしてもここではお前たちに人権が与えられるとは限らない」

「しかし木ノ原、人権というのは人間なら生まれた時から誰しもが――」

「うちでは天賦人権論は採用していない! 黙っていろ!」

 そんな、労働基準法を遵守しないブラック企業みたいなことを言わなくても、と思ったが、黙っておくことにした。

「とにかく! 我々は何らかの原因によって、本来あるはずの人権を剥奪されているのだ。その何らかの原因とは、数学、なんだと思う」

 一瞬のうちに二つも言動における矛盾を生じさせたのは称賛に値する。彼は電光石火の如き速さで天賦人権論を採用し、私の発言権を復活させた。いま、イグノーベル文学賞を獲得するのに最も相応しい人間は彼だろうと思った。

 それはそれとして、私は彼の質問に答えた。

「それは、君が昨日あたり言っていたように、社会の構造じゃないだろうか」

「大正解だ、この社会は間違った方向に進み続け、我々のような人間を隅に追いやる弱者しゃく……」

 私は吹き出した。下田兄弟も、左右対称性を保ちながら後方を向いて笑っているのを隠した。小野はというと、魔王のようなおぞましい声で爆笑していた。これを見た木ノ原がえも言われぬ恐怖感に駆られたのは想像に難くない。実際、彼は言い間違いを笑った我々を一切糾弾することなく演説を続けた。

「じゃくさしゃく、じゃく、じゃ……弱い者いじめをするような構造に成り果ててしまっているのだ!」

 その姿勢に心打たれなかったと言えば嘘になるので、私は彼の空気に乗ってやることにした。

「では、そんな社会の中にあって、我々『幸福追求同好会』はいったい何をすべきなのでしょうかー」

「そう、そこが問題なのだ!」

 慣れない敬語だったので、自分で考えても明らかに棒読みだったが、彼も今度は揚げ足取りをすることなく話を続けた。それほど話に熱が入っていたということなのだろう。

「『社会の中で隅に追いやられている』と感じたとき、法界悋気に侵されている普通の人間ならこう考えるだろう。『そんな社会に復讐してやる』と。しかしそれは、『お前らも不幸になれ』という無意識のうちの思考から導き出される帰結でしかない。ゆえにそういった行動は他人の足を引っ張るだけの愚行だ。見知らぬ誰かの幸福追求権を侵害しているという点で、それは今の間違った社会構造にそのまま加担して不幸の再生産を行うという、負のスパイラルを生み出すだけの最低最悪の営みに過ぎないのだ」

 その横暴さに反して、彼の言うことは尤もだった。社会への恨みを募らせた社会的弱者が、社会への復讐のために殺人事件を起こすに至るという事例は、ニュースで数多く目にしている。彼らの勇敢さは間違った方向に進んでしまった。私自身、帰宅部員の似非数学野郎として迫害され続ける中で、学校社会全体への不満が蓄積していったことは否定できないが、しかし彼らのような殺人犯になるようなつもりもなかった。意外にも、我々の思想は相性がいいのかもしれない。

「ゆえに、我々が行うのは、あくまで人類にとって有益な、幸福をもたらす活動でなければならない。人類の幸福の総量を増やすため、我々のような個人のレベルで何ができるか。それを考えるためにこの『幸福会議』はあるというわけなのだ」

「其れは功利主義と云う物だ。私は功利主義が心底嫌いだ。多數の利の爲に少數の人閒が犧牲に成る事は斷じて許容出來無い。お前が其の樣な立場を支持すると云うのならば、私はお前を糾彈する」

「お前は默つてゐろ。お前が喋るとなんだか頭がキンキンして視界もモノクロ寫眞のやうになつてしまう」

ここで「小野美里が伝染した」とそう言えば、それは小学生が人の名前を用いて「○○菌がついた! ばっちい」などと宣うようなものかもしれないが、それは確かに伝染と呼ぶべきものだった。というか、本人よりも口調がおかしくなっていたようにも聞こえた。

「伝染した」「伝染した」「小野」「美里が」「「伝染した」」

 二人で数々の伝説を築き上げたであろう万年小学生の双子が、そこにはあった。

「ちょっと待ってくれ。では、幸福会議の理念を説明するためにここまで時間をかけて話をしてきたということなのか」

 運の悪いことに小野美里の衒学性にやられてしまった木ノ原に構わず、私は質問した。

「ああその通りだ。いろいろと邪魔が入ったせいで随分と時間がかかったがな」

 すぐに回復した。これも馬鹿は風邪をひかないというやつの亜種なのだろうか。

「まさか毎回やっているのか」

「そんなわけがないだろう。お前が来て初めての会議だから詳細に説明してやったまでだ」

 そして、この愛すべき馬鹿になぜか備わっている一定水準の甲斐性に、私はひどく申し訳なくなった。とはいえ、私は大して悪いことをしていない。私も多少彼をおちょくったりはしたが、彼が憤慨したのは、主に小野美里だ。小野美里という史上最悪の衒学者と、テレビから飛び出てきたような喋り方をする双子の下田兄弟、そして産声が屁理屈だったであろう男、木ノ原。案外、この中で一番私に近しい存在は木ノ原なのではないかと思った。というか、そう思わざるを得ない程度には、彼ら三人は常軌を逸していた。木ノ原は、似非数学野郎たる私を彼らと同レベルの世捨て人、いや、世に捨てられ人だと思ったのだろうか。そう思うと、寒気がしてくる。

 私だけは正気を保たねばならない。そう思ったので、幸福会議というやつには、いっそ大真面目に参加してみようと決心した。

「なるほど、それはありがたい限りだ。では具体的には、今までにどのような『活動』を行ってきたのだ」

「其れは好い質問だ。我々は常に幸福について考え、そして何かを思い付けば、直ちに此れを實行せねばならない。例えば厠にて小便をする時の事を考えてみよ。若しお前が同時に屁を出しそうに爲って居たとすると、お前は小便を出すのに酷く苦勞するだろう。何故なら、上手い事屁より先に小便が出てくれる事は稀だからだ。すると、唯陰莖を露出して天と地との閒に屹立して居る男性――お前の事だ――が其處には現れる。こうした時、お前が何故其れに因って苦しむかを考えれば、何を爲せば好いのかは明白である筈だ。そう、お前は己の陰莖を一度仕舞い、其の儘個室へと驅け込み、何を憂える事も無く屁をこき尿を出せば好い。そうすれば、他の誰をも害する事無く自身の幸福を得る事が出來る。私は會長の功利主義的觀點を蛇蝎の如く忌み嫌って居るが、誰も害さずに誰かを幸福にすると云うのなら話は別だ。私は常に其の事を意識して活動に勤しんで居る」

「……」私は思わず言葉を失った。

「おい小野、数学を黙らせるってのは相当のもんだぞ」

「申し譯無いが、何が問題であったのか私には皆目見當が付かない」

「あのなあ、俺は染色体の違いで言動に対する糾弾の基準を変えるような前時代的で旧来的な価値観を内面化している差別主義者なんかでは断じてないが、こういった場での節操ない発言というのは控えるべきだってことは、流石に分かるだろう。少なくともそれは、この純潔の象徴たる雑草四辺形の中で行うにはあまりにも不適切な言動だった」

 私は心の中で木ノ原に最敬礼をした。実際にしてやることは断じてないが。

「いや、大丈夫だ、小野さんの有り余る衒学性に少々面食らってしまって」

「衒學性?」

「なんでもない、どうか忘れてくれ」

「大丈夫」「僕らは」「君の」「言いたい」「ことが」「ちゃんと」「「わかっているよ」」

 と下田兄弟が小声で耳打ちしてきた。鬱陶しいことこの上ない同情だった。いや、同情というか、仲間を見つけた喜びといった方が正確だろうか。なんにせよ、こんなおかしな兄弟に仲間意識を持たれるくらいなら、野生に還った方が余程ましなのではないかと思う程度には、

「そうか、なら良かったが……。とはいえ、先ほどの小野の喩えは不適切であるにしても的確なものだった。我々が行っているのはまさにそういうことだ。数学、お前は『つぎとまります』のボタンを知っているか」

 人を馬鹿にしているのか。先ほどの優しさへの感謝はモーセが杖をかざしたかのように一瞬のうちにして消え、代わりに怒りが脳内を満たした。

「逆に訊くが、私が路線バスにも乗ったことがない上級国民、あるいは日常的にバスを利用する機会がない辺境に住まう人間とでも思っているのか」

「いや、そういうわけじゃあない。その方が喋りやすいからだ。気に障ったのなら謝罪でも何でもしてやろう」

 どうも、此奴の態度は徐々に軟化しているような気がする。このまま行けば、この同好会における会話の主導権を奪取することすら可能であるように思われたが、それはあまりにも無粋な行いなので、そのような想定はやめておくことにした。

「いや、謝罪は良い。こちらこそカッとなってすまなかった。続けてくれ」

「ああ、そうか。ええと、なんだったか……そうだ、『つぎとまります』ボタンだ。あれが人類史に残る素晴らしい発明品であるということは言うまでもないだろう」

「又誇張を始めたか。私には其の釦が白熱電球等と對等に渡り合える程の實力を備えているとは到底思えないが?」

「いいや、補って余りある程度には素晴らしいものだ。なぜかと言えば、このボタンが大きな幸福の製造装置でもあるからだ」

「もっと」「詳しく」「教えて」「ほしい」「「な」」

「簡単な話だ。子供の頃、バスの中でこのボタンを見つけて、無性にこれを押したくなったことがあっただろう?」

「私には無かった。其の想定は誤りだ」

「いや、私はあったぞ」

 私は隙あらば話の腰を折ろうとする小野を見て思わず木ノ原にフォローを入れてしまった。これを先ほどの恩返しということにしておこう。

「あれを押せるのは一部の選ばれた者だけなんだ。もちろん、自分が降りるバス停以外で押すのが反則だということ、そして仮にそんなことをしても全く面白みがないだろうということは小さな頭でもわかっていたから、あくまでも、自分が降りる一つ前のバス停をバスが出発し、電光掲示板の表示が切り替わるその瞬間を狙ってボタンを押すんだ。これが決まった時はたまらなく嬉しい」

「そうだ、そうなんだ、どうやらわかってくれるのは数学、お前だけのようだ。うっかりぼんやりとしている間に他の戦士によってボタンが押され、車内放送の音でそのことに気が付くと、たまらなく悔しいんだ。そしてごく稀に、終点でボタンを押すような輩がいる。俺自身はそんな反則技を使って争いに勝ったとて全く嬉しくはないだろうが、初めてあれに遭遇した時は、そんなことが許されるのか? と子供心に思った記憶がある。実際、終点なのだから、少々常識に欠けるというだけで、一切迷惑をかけずに、人間の十大欲求の一つとされるボタン押下欲求を満たす事が出来るということにはなる。もちろん、俺自身はそんな手段に甘んじるつもりはなかったが」

「それで」「例え話の」「「続きは?」」

「ああそうだった、つまりな、あのボタンには人間を幸福にさせる効能がある。だから、あれを使うことで幸福追求同好会としての活動を行う事が出来る。具体的にはこうするんだ。自分が降りるバス停の表示が出てくる少し前、バス内を見渡し、『スタンバイ』している者がいないかどうか確認する。いなかったとしても、ボタンに手をかけるものがいないかどうかよく注視しておく。そして、そいつがまさにボタンを押そうとしているタイミングで、自分もボタンを押すのだ。すると、どちらの押しが車内放送のトリガーとなったのか分からなくなる。もちろん相手は自分が押したことによるものだと思うだろうし、自分自身もそのように思えばいい。すると、二人とも幸福になれる。これを広めれば、人類文明は再び幸福の方向を向くようになると信じているのだが、残念なことにこの啓蒙活動はお世辞にも上手くいっているとは言えない」

「あまりにも当然のことだ」

「なんだと、俺はこれが世界を救うと信じているぞ」

「つまり、そういうことを純粋に信じられる程度に馬鹿であれということか。あるいは自分たちだけが理性を持つ存在だと勘違いして自惚れているのか。はたまたそうやって割を食うのが理性を持つ教養人の責務であるとでも言うのか」

「究極的にはそういう話になるが、俺はそういった結末は望まない。それはディストピア以外の何物でもないからだ」

 私には、この男がどうしようもない根本的な馬鹿なのか、それとも慧眼を備え英知に溢れたどうしようもない馬鹿なのか、わからなくなりつつあった。

「なんにせよ、そうやって己の生活において少しでも皆が幸せになれる方法を考えるのが我々の為すべきことなんだ。頼んだよ」

 今になって冷静に考えてみると、私は入会の申請のようなことを一切やっていないのだが、その時にはなぜか私の加入が既成事実化されていて、私はこの奇妙な同好会に加入せざるを得なかった。もちろん正式な団体ではないので完全に無視してやることもできたのだが、心のどこかで、木ノ原を、下田兄弟を、小野美里を、心の奥底から面白がっている自分がいた。

 

 

 その次に「幸福会議」が行われたのは、青春を思う存分謳歌できる最後の夏休みがあまりにも呆気なく終わり、絶望に打ちひしがれていた、九月の初頭のある日だった。

 いつも通り帰宅部エースとしての実力を遺憾なく発揮しようとしていた私の前に、そういえば同じクラスだった木ノ原が立ち塞がった。曰く、

「おい、もうお前は帰宅部員じゃあないんだぞ」

 と。よくもまあ、そんな臭い台詞を公衆の面前で臆面もなくいけしゃあしゃあと喋れるものだ。などと思っていたら、私はいつの間にか例の雑草四辺形に転移させられていた。どうやら、彼は魔法じみたものも使えたらしい。あるいは、私の意識が、存在し得たはずの、しかし存在しない青春への憧憬に向かいすぎていたのだろうか。

 そこには前回と同じく下田兄弟と小野美里がいた。どうやら、誇張抜きに暇を持て余しているメンツがここには集まっているらしい。帰宅部である私も、もちろん例外ではなかった。

 五人全員が集まり、私が加わってから二回目の幸福会議が始まった。開会を宣言するや否や、木ノ原は突然地面を叩き(これが教卓か何かそういった類の机であれば何かかっこいい音でも鳴ったのだろうが、雑草にまみれた土を叩いて出てくるのはササッという雑草のなびく音だけだった)こう叫んだ。

「今日は、皆に重大なお知らせがある!」

「なんだなんだ」私は適当なヤジを飛ばした。

「諸君、新たに数学が加わったとはいえ、我々の幸福追求はまだまだ始まったばかりだ」

「皆なのか諸君なのかはっきりしてくれ。あと、その文言は巷ではフラグというか、打ち切り漫画の決まり文句ということで通っていて、非常に危険な表現だ。まさかこの同好会を終わらせるなんて言うつもりじゃあないだろうね?」

 私がいつも通り、売り言葉に買い言葉とは少し違うが、ボケを丁寧に拾ってツッコミを入れていたところ、小野美里がうつむき加減に呆れたような顔を見せていることに気が付いた。こういうとき、彼女は大抵木ノ原に対して真っ向から楯突くような発言をする。しかし、今回はそうではなかった。彼女はただ私に失望したような目線を向けたまま、黙りこくっていたのだ。

 私は、その視線の意味をその瞬間に理解できなかったことを悔やんでいる。私はそのまま、他愛のない言葉のドッジボールを続けようとしていた。その違和感ある沈黙の正体を私が理解したのは、下田兄弟が私に「やめておけ」といった意味合いであろう目線を、これまた器用なことに、交互に私に伝えてきていることに気付いた時だった。

「……似非数学野郎の分際で、一体全体どうしてこういった場でこうも的確なことを言ってのけるのか理解に苦しむが、まさにその通りだ。『幸福追求同好会』は九月いっぱいで解散とする」

 帰宅部というぬるま湯で長いこと自分を甘やかす生活を送っていたせいもあってか、その突然の宣言は、私がそれまでの高校生活で経験したどんなことよりも――イプシロンデルタ論法が数学における論法でしかないことを知ったときよりも、あるいは私をさんざんこき使っていた前生徒会長が今までに効力を持ったことのなかった弾劾規定により史上初の罷免処分となったときよりも――より大きな衝撃をもって感じられた。

 私はこの数週間、ただ漠然と何かが始まると感じ無邪気に胸を膨らませていた節があったが、実際のところは、何かが始まる前にそれが終わってしまう、ということだったようだ。とんだ期待外れだ。「上げて下げる」というのは、悲劇の手法か詐欺の手法か、この二種類しかない。そして私の場合、両方とも当てはまっているように思われた。私の体は、まるで底のない沼の底に沈んでいくかのように重く感じられ、そして視界は次第に黒ずんでいった。

 そんなとき、下田兄弟が口を開いた。

「ちょっと」「待った」「そんな」「話は」「「聞いていないぞ」」

 どう考えてもふざけた喋り方だと思う。しかし、その時確かに彼らは真剣だった。

「そうだ。私も其の樣な話は一切聞いて居らぬ。なあ木ノ原よ、我々は短い付き合いでは無いだろう。最初に此の會に入ったのは私なのだから、先に何か敎えて吳れても良かったのではないか」

 小野も口を開いた。彼女がこの会の最初のメンバーであったというのは、意外な情報だった。

 しかし私は依然として、何も口にする事ができないでいた。

「『幸福追求同好会』を開いて既に十一か月が経った。我々は、社会的弱者として謂れなき迫害を受けてきた身として、『青春』なるものを騙る者たちの欺瞞に満ちた生活をまざまざと見せつけられながらも、日々、そんな状況にあっても追い求められる日常とは一体何なのか、考え続け、そしてそれを実際に実行に移してきた。しかし、端的に言ってしまえば、俺はその非暴力による反抗に気疲れしてしまった。俺は九月末をもってこの学校を退学し、通信制高校に転校する。解散というのは、その当然の帰結である」

 彼のその言葉を聞いて、私はさらなる衝撃を受けた。「幸福追求同好会」などという、名前からして明らかにふざけた同好会を設立し、「似非数学野郎」としてその名を馳せていた私をそこに招き入れた、いや、半ば強制的に加入させた木ノ原。彼は、この学校という社会において、私よりもよっぽど好ましい立ち位置にありながらも、青春を謳歌する者たちへの法界悋気を拗らせて、しかし「爆発しろ」などといった、いろいろな意味で暴力的な手段に訴えることは無粋であると考え、このような同好会を設立するに至ったのだろうと、そう考えていた。

 しかし、実際のところは真逆だったのだ。「似非数学野郎」という、屈辱的ながらも確かに定まった一つの名前を持っていた私の方が、彼よりもよっぽど恵まれたところにいたのだ。つまり、彼の学校における立場は、絶望的なものだった。後から聞いた話だが、彼は高校一年生の時分、調子に乗って運動部を三つ、文化部を六つ兼部し、大言壮語を吐き散らかし、様々な仕事を一手に引き受けようとしたが、何らかの原因により(いや、原因は明らかだが)両立が不可能になり、それらを放棄し、最終的にそのすべてで幽霊部員となった結果、校内のほとんどの人間から疎まれる存在になったそうだ。イプシロンデルタ論法を振りかざし「似非数学野郎」の称号を手にした私とは対照的に、彼はどんなあだ名をも与えられることはなかった。彼はいつまでも、「かつて各所に迷惑を撒き散らしたアイツ」でしかなかったのだ。

 だとすると、私が彼の同級生でありながら、彼の名前を一度も聞いたことがなかったという事実にも説明がつく。私は二学期に入ってからも全く気付いていなかったのだが、彼は、少なくとも二年生に上がってからは、教室には一度も来たことがなかった・・・・・・・・・・・・・・・・のだ。出席を取る際にも彼の名前が呼ばれることはなかったのは、おそらく担任との間で既に話がついていたのだろうが、この半年間、私の教室に確かに存在していたはずの奇妙な空白に、私は一切気づくことがなかった。その事実に、私は震えた。自分の無神経を呪った。「似非数学野郎」には「愛」があった。しかし、「空白」の中に、愛は存在し得るだろうか。

 

「数学には申し訳ないが、我々は各々で『最後の幸福追求』を行い、それを最後の活動とする。そういうことで、頼むよ」

 その一言だけを残して、彼は去ってしまった。私は依然として、何も言えなかった。

「行って仕舞った樣だな」

「どうする?」「どうする?」「「追いかける?」」

「否、止めて置こう。少なくとも今其の樣にするのは賢明でないだろう」

 そう言うと、小野はこちらを振り返った。何か伝えることがあるようだ。

「なあ、数学よ。お前は木ノ原の云う事が如何なる事か理解したか」

「理解したにはした。要するに、彼は不登校だったのだろう」

「其れに就いては其の通りだ。倂しそう云う事では無い。彼の云った『最後の幸福追求』なる物の何たる哉を、お前は分かって居るのか」

「分かっているか分かっていないかで言えば、分かっていないと言うほかないだろう。なにせ、私は『幸福追求』なるものの実践を行ったことすら一度もないんだからな」

「其れに就いては隨分と氣の毒な話だと私も思う。倂し、お前には『幸福追求』の精神に就いて詳細に解說した筈だ。其の事に充分想いを馳せ、自らの頭で以て確りと考えて見れば、自ずと爲すべき事は見えて來る筈である。何せ、木ノ原は自分が此の學校に居る期閒が最早然程長く無い事を知って居ながらも、お前を此の幸福追求同好會に勸誘、いや、半ば强制的に召致したのだからな」

 小野美里は、私が明らかに不正な手段によってこの同好会に加入させられたことを理解しているようだった。喋り方から溢れ出る衒学性とデリカシーの欠如を除けば、意外にも私と同程度にはまともな人間なのかもしれない。なんにせよ、彼女が人間であることが分かっただけでも大きな収穫と言えるだろう。

「しかし」「小野さん」「僕たちが」「見るところでは」「小野さん含めた」「我々四人に」「共通して」「求められている」「『幸福追求』の」「内容については」「教えてあげても」「いいんじゃないかと」「「思うよ」」

 下田兄弟が、珍しく長い言葉を発した。それゆえ、彼らがそれを言い終わるのには実に三十秒ほどの時間を要した。

「共通して求められている『幸福追求』」……彼の境遇について考えれば、その指し示すところは大方予想がついていた。

「いや、私も、なんとなく理解はしているさ」

「ほう? 其れは大した物だな。ならば云って見るが好い。お前が大きな勘違いを抱えた儘可笑しな行動に及ぶのは私の望む所では無いからな」

「要するに、『自分の居場所を見つけろ』とでも言っているわけだろう」

「うむ、私も其の樣に考えて居る。倂し、其れ以上の意味合いと云う物にも氣を配った方が好いだろう。お前が其處に辿り着けるか否かは、偏にお前の實力に委ねられている」

「なら、間違いなく辿り着けるだろう」

「良い自信だ。気に入った。木ノ原は居なく為るが、お前とは今後一年半この学校で共に過ごす事に為るのだからな、お前との縁は大切にさせて貰うぞ」

 小野美里との、切っても切れない、字義通り鎖とでも言うべき腐れ縁が其處に、いやそこに生じてしまった。その鎖はダイヤモンドで出来ており、どんな手を講じても砕くことはできない。そしてその鎖からは彼女の衒学性が絶え間なく供給され、私を蝕んでいく。私はそのうち、全身衒学人間として怪異のリストに載ることになるだろう。その時は小野美里も道連れだ。いや、むしろ私が小野美里の道連れにされているとでも言うべきか。私が最も恐れているのは、彼女の衒学性の伝染によって私が「気」を「氣」と書くようになったりしないだろうか、ということだ。そんなことになれば、私は「お前はスピリチュアル系の陰謀論者だろう」という謂れなき中傷に対し、逐一この小野美里という怪異について説明する羽目になる。そんなことはまっぴらごめんだし、きっと説明しても理解はしてもらえないだろう。

フィクションにおいてはこういった展開は好ましいものかもしれない。しかし、フィクション全開の全身衒学人間を前にして、私は大変困惑している。この気持ちを理解してくれる人間は、きっとどこにもいない。

「僕たちとも」「今後とも」「「よろしく頼むよ」」

 こうして、校内変人グランプリを開催したら間違いなく表彰台を寡占することになるであろう三人との奇妙な関係が、決定的なものとなってしまった。オセロの理屈で言えば、私も表彰台に上るに足る変人になるチャンスを与えられていると言うこともできるだろうが、私はそのようなチャンスを丁重に撥ね退ける。「似非数学野郎」をさらに拗らせる必要は、全くない。

 

                 *

 

 土日が明けて、月曜日。この日の放課後に、私がすべきことは一つだった。

 この一年ほど、私は帰宅部のエースとして、「帰宅タイムアタック」に心血を注いでいた。もちろん、生徒会の仕事などを抱えていた時などは少々事情が異なるが、たいていの場合、六時間目の授業が終わる五分前から、私の戦いは始まる。まず、授業に必要ないものをあらかじめすべてしまっておくのは当然のこと、ノートや教科書でさえも、可能であればしまう。とはいえ、不真面目な生徒であると誤解されるのも本意ではないので、大抵は授業終わりの号令をかけている間にササッとしまうことになる。そして、教室を出るまでの導線を確保しておくことも当然重要だ。私は、出口方面に席を持っているクラスメイトが放課後にどこに向かうか完璧に把握していた。それに、席替えにおいてはできる限り右側の座席を志望するようにしていた。もちろん、授業をサボりたいヤツと誤解されてはいけないので、右側前方の席である。こうすることで、多少座席が変わりつつも、私は出口に程近い座席を確保する事が出来ていたのだ。そして、チャイムが鳴り、号令が終われば、後は全力を尽くすのみである。とはいえ、六時間目終了以降に最寄り駅を出発する最初の電車は十二分後のものであるので、学校から最寄り駅までの距離が「徒歩十分」と表現されることに鑑みれば、ここで急ぐ必要はあまりない。しかし、不測の事態に備えて、あるいは単に私自身のプライドのために、駅までの道は早足で歩くことにしていた。グーグルマップが決して提案しない程度にはスムーズな乗り換えを二回挟み、自宅の最寄り駅に着くと、そこからは全速力である。本数の大して多くないバスを待つよりは、走った方が早い、ということに気付いたのは、「帰宅タイムアタック」を始めて二か月目のことだった。そこからは、まさに自分との戦いだった。結果として、私は帰宅部でありながら、陸上部の長距離選手ほどではないにしても、体力テストで長距離走の項目だけ突出した点数を得る謎の帰宅部員と相成ってしまった。このことで「似非体力野郎」との称号を賜ることがなかったのは大変幸運だったといえよう。ちなみに、今でもタイムは更新し続けている。人間の体は鍛錬によっていくらでも変えられるということを、私は長年の帰宅部生活で学ぶ事が出来た。まあ、こんなことを就活の面接なんかで言ったら、「嘘を吐くのがうまい」とその才能を買われるか、「嘘を吐くやつはダメだ」とバッサリ落とされるかの二つの結末しか待っていないだろう。そしてそのいずれも、私の望む所では断じてない。

 しかし、そんな帰宅部員人生にもそろそろ終止符を打つ時が来た。私は渡り廊下を歩き、部室棟へと向かうと、その二階、その衒学総量は小野美里をも凌駕するであろうと思われる衒学フロアの中央に位置する、数学部の門戸を叩いた。そう、私は「似非数学野郎」の汚名を払しょくするべく、大学数学にもう一度向き合うことにしたのだ! 私が今後イプシロンデルタ論法について訊かれたとき、さりげなく、そして分かりやすく、それでいて衒学仕草をこれっぽっちも感じさせないように、それに答えてやることができるように。あるいは、今後木ノ原のような傍若無人なふるまいをする者が私の前に現れたとき、私は理系大学生の多くが大学で学ぶような数学の領域に関してはしっかり理解しているのだぞ、さてお前が私を「似非」だなんて言うことができるかな、と自信をもって言えるように(もちろん、それが数学オリンピックの日本代表などであればぐうの音も出ないが)。帰宅部エースとして、私は自分の為すべきことをしっかりと行ったと言える。そして何より、「帰宅タイムアタック」自体は、六時間目終了直後でなくても行う事ができる。むしろ、帰宅開始時刻に多様性が生じて、より面白みのある競技となることであろう。

 彼らが扉を開けた後の第一声は、全くもって予想通りだった。全員が口をそろえて、

「似非数学野郎⁉ どうしてこんなところに!」

 と言った。一部「数学さん」と言った比較的良心的な本物数学野郎も何人かいたような気がするが、それはおそらく一年生だろう。その事実は、また別の意味で屈辱的なものだった。

「失敬な、きちんと名前で呼んでくれたまえ」

「アンタの名前なんざ知らないよ」部長らしき丸メガネの男が言った。丸メガネにしては随分と古風な喋り方をするものだ。あるいは、私の喋り方を馬鹿にしているのか。何にせよ、丸メガネにしては狡猾な人間らしい。

「そいつは残念だ」

「それで、似非数学野郎さんが、うちに一体全体何の用があるってんだ」

「まさに、その汚名を返上しに来たのだ」

「ほほう? 我々に数学力で勝てるとでも? 我々の数学力は五十三万だ」

 高校二年生にもなって、このような絶対零度級のギャグを放つ者が存在するとは信じたくなかった。この丸メガネの存在は、リニアモーターカーの維持費用削減に大きく貢献することだろう。彼のれいとうビームにより私の心は凍り付き、冷凍保存された。このままうまくいけば、ドラえもんの誕生を目にすることもできるだろうが、それは私の本意ではないので、私の太陽にも匹敵する熱き心でそれに抗ってみせた。

「いや、ここで鍛錬を積もうと思ってここに来たのだ。端的に言えば、数学部に再入部したい」

「……アンタ、正気なのか? 自分に『似非数学野郎』というあだ名がついたおおもとの原因は何かと言えば、お前が我々の取り扱うような数学の分野を理解したような気になって思い上がり、その知識をひけらかしたからだろう。そして何より、高校二年生の二学期に部活に入るとは何事だ。他の文化部よりは確かに遅いとはいえ、我々は三年に上がるときにはもう引退するんだぞ」

「要するに、しっかりと理解すればいいのだろう。ならば、半年もあれば十分だ。もちろん、自学自習を怠るつもりもない」

「なら、断る理由もないが……」

「よし、ならばついて来い」

 私は数学部部長の手をつかみ、全速力で昇降口を出た。

「おい、何の真似だ」

「お前はそこにいてさえくれればいいんだ」

 そして、私は校舎に向かって、高らかにこう叫んだ。

「『似非数学野郎』がここに宣言する! 私は、この忌まわしき二つ名を私に刻み付けることとなった元凶であるところの数学部に再び還り、この汚名を必ず返上する!」

 

 この後、私が実際に「似非数学野郎」との汚名を返上し、代わりに「数学さん」と呼ばれるようになるまでの経緯は、あまりに下世話な話だと思うから、やめておこう。

 大して変わっていないじゃないか、って? それはその通りだ。しかし、その程度の表現の違いに、大した意味はない。重要なのは、大衆の意識がどれだけ変わったかだ。

 

                 *

 

 私が数学部への再入部を果たしてからというもの、私の学校生活はいたって普通のものになってしまった。クラスメイトが、実に一年ぶりに寄り付いてくるようになった。似非数学野郎はそこまで気に食わない存在だったのか、とショックを受けもしたが、私がどうやら心を改めたらしいという噂は、学校中に広まっていた。

 そんなある日、数学部の活動もなかったので、私が久々に従来型の「帰宅タイムアタック」でもやろうかと思い、六時間目の教室でドアの方を繰り返し凝視していると、どこからともなく強い視線を感じた。一体誰だろうと思ったが、その正体を暴くことはできなかった。

 そして六時間目終了のチャイムが鳴り、私が教室を飛び出すと、階段を挟んで対称な位置にある教室から小野美里が現れ、私にタックルを仕掛けてきた。私の体は吹っ飛ばされ、私はそのまま床に倒れこんだ。そして、我々二人の教室のさらに外側の二つの教室から、対称性を保ったまま下田兄弟が現れ、私を取り押さえた。「幸福追求同好会」の面々は、こういった暴力的手段に訴えることなく幸福を追求する団体ではなかったのか。私は心底失望した。

「話が有る。例の雜草四邊形に向かうぞ」

 

                 *

 

 そして、我々四人は数週間ぶりにこの雑草生い茂る四角形の区画に集結した。しかし、木ノ原の姿はそこにはなかった。

「木ノ原はどこに?」私は訊いた。

「……今は別の話をしようとしているんだ。とりあえず聞いてくれないか」小野美里は露骨に話をそらした。何かしら事情があるのだろう。

「最後の」「活動に」「ついての」「報告を」「「しよう」」

 

 そして、各々がこの数週間の間に為したことを報告し合った。下田兄弟は、演劇部への入部を果たしたらしい。なるほど確かに、息がぴったりな双子という人材は、演劇部にとってすれば貴重なものだろう。たとえ半年しか所属できないにしても、それ相応の価値があるというものだ。小野美里は、すっぽかし続けていた図書委員の仕事を再開し、他の委員を驚かせたらしい。こんな訳のわからない同好会にうつつを抜かして、委員会活動をサボっていたとなれば、それは結構な問題なんじゃないかとも思ったが、図書委員会内部でも何かあったのだろう。私が何よりも心配なのは、彼女の衒学性が図書室の本をおかしくしてしまわないかということだ。好きな作家の新刊が、なぜか旧字体で、さらに言えば旧仮名遣いで、書かれていたとしたら、私は一体どうすればいいのだろうか。

 私の報告にも、彼らは動じる様子を見せなかった。小野美里ほど衝撃的な告白でもなかったというのもあるだろうが、多少驚いてくれた方が面白かったのに、と思った。

「なあ、これで『最後の活動』は終わりってことなんだよな? これで、良いんだよな?」

 少し心配になって、私は訊いてみた。すると、小野美里はこう答えた。

「此れで好いか否かは、偏にお前の氣持ち次第だ。其れ以上でも其れ以下でも無い。お前自身で考える外に道は無い」

「そう」「そう」「自分で」「しっかり」「「考えないと」」

 その言葉の意味は、すぐには理解できなかった。

 

 そして最後まで、理解することはなかった。

 木ノ原は、最後の日も、教室に姿を現すことはなかった。例の雑草地帯にも、現れなかった。

 下田兄弟や小野美里との奇妙な関係は続き、私はそのたびに正気を失いそうになったが、「似非数学野郎」としての汚名を返上したこと以外に特筆すべき出来事などもなく、私は高校を卒業し、大学も卒業し、社会人となった。

 

                 *

 

 私はその後も、幸福について考え続けていた。

 世の中には、ハゲという種に分類される人間がいる。彼らは一般的に「気持ち悪い」などと言われ迫害される対象である。しかし、これはあまりに理不尽ではないか。そこで私は、「ハゲ最強理論」を考え出した。

 台風をご存知だろうか。そう、夏から秋にかけて我が国を繰り返し襲う災害の一形態である。一般的に、台風は「目がはっきりしているほど強力」であると言われる。このことから類推すれば、ハゲというのは人類の中で最も頭が強いのではないだろうか。それは頭が頑丈という意味かもしれないし、あるいは賢いという意味かもしれないが、何にせよハゲの人権を拡大を主張する論拠たり得るだろう。我々ながら惚れ惚れするほどの完璧な三段論法だ。数学部で数学をしっかりと理解した私に死角などないのだ。

もちろん私は(また)ハゲではないし、そんな私がハゲの人権を擁護しようとしたとて、それはどこか胡散臭い主張になってしまうだろうが、このような好意的な見方をしている者が多少なりとも存在しているという事実だけでも、十分彼らの苦痛を和らげることができると、私は信じている。それが、木ノ原の言っていた「幸福追求」の手法なのだろう。

 

                 *

 

 そんなある日、私が仕事帰りにバスに乗っていると、私の降りるバス停で降りそうな男がいたので、いつも通りの幸福追求の実践として、彼と同時にボタンを押すことにした。

 バスを降り、荷物を背負いなおして、歩き出そうとすると――。

「おい、お前」

 さっきの男が話しかけてきた。その不躾な言い回しと濁った声とで、最初は面倒くさい性格の爺さんがいちゃもんでもつけてきたのかと思ったが、どうやらそういうことではないらしかった。

 後ろを振り返り、彼の顔を見ると、私は驚いた。

「木ノ原……⁉」

「やっぱり、お前だったか、『数学』」

 そう、あれから一切音沙汰のなかった(もちろん、連絡先も知らなかったのだから当選ではあるのだが)木ノ原が、そこにはいたのだ。随分とやつれていたが、それでもすぐに木ノ原だと分かった。

 

 この十年近くにわたって幸福追求に向き合ってきて、私があのとき何を為すべきだったか、そして何を為せなかったのかについて、ずっと考えてきた。そして、その答えは今、火を見るよりも明らかだった。

「是非、連絡先を交換しようじゃないか。これからは会長と会員の関係ではなく、対等な友人関係を築きたいと思っている」

「ああ、それでこそ『幸福追求同好会』最後の会員だ!」

「だから、会員がどうとか、そういう話ではないと言っているだろう!」

「何だと、俺は今からでもお前の事を『似非数学野郎』と呼んでやることだってできるんだぞ」

「随分と懐かしい響きだ、しかしその名はもう捨てた!」

 その日は、朝まで飲み明かした。

 

 何にせよ、「幸福追求同好会」の会員としての「最後の活動」はこれにて無事に終えることができた。今後「幸福追求」を行うときが来るとすれば、それはやはり、かつての仲間たちのためなのだろう。小野美里や下田兄弟は今頃何をしているのだろうか。ろくなことをしていないような気もするし、案外普通に生活しているような気もする。そんなことを話し合いながら、我々は解散した。これからはいつだって会うことができる。

「幸福追求」にまつわる私の物語はこれで一旦の結末を迎えることとなるが、「幸福追求」の精神は決して消えることはない。あなたも、自分の思う「幸福追求」を実践してみるとよい。さすれば、いずれ「幸福」なるものの、辞書的な意味でない、本当の答えは、必ずや見つかることであろう。