捺火削がん

まず、ココロのスキマにスイッチを設置します

意識高い系桃太郎①


 むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました。おじいさんは山での里山保全を目的としたしばり、おばあさんは川での地球環境への配慮が十分になされた完全水洗いの洗濯を日々のルーティンとしていました。
 ある日、おばあさんが、川のそばで、せっせと水洗い洗濯をしていますと、川上から、大きなが一つ、

「ドンブラコッコ、スッコココッ(Slack 通知音)。
ドンブラコッコ、スッコココッ(Slack 通知音)。」

 とれてました。

「おやおや、これはナイストゥハブなだこと。おじいさんへのスーベニアに、どれどれ、うちでアクセプトしましょう
 おばあさんは、そういながら、古志(こし)をかがめてろうとしましたが、手の長さがボトルネックになってとどきません。おばあさんはそこで、

「あっちのは、既存のシステムに強く依存しており将来性が低いぞ。
こっちのは、日本社会イノベーションをもたらす期待値が高いぞ。
旧態依然のは、よけてい。
技術革新の水に、よってい。

 といながら、手をたたきました。するとはまた、

「ドンブラコッコ、スッコココッ(Slack 通知音)。
ドンブラコッコ、スッコココッ(Slack 通知音)。」

 といいながら、おばあさんのれてました。おばあさんはにこにこしながら、
「アサップでおじいさんと二人でデバイドしてべましょう。」
 とって、をピックアップして洗濯物といっしょにたらいの中にれて、えっちら、おっちら、かかえておうちへりました。歩ける距離は歩くことで、自動車等が排出する有害な排気ガスを軽減することができるからです。
 夕方になってやっと、おじいさんは山からしばを背負ってってました。このしばには多くの研究者たちの興味が集まっており、政府の人間と専門家数人とを合わせて官民合同での研究が行われていて、おじいさんもそのプロジェクトのメンバーなのですが、その話はひとまず置いておくこととします。
「おばあさん、ったよ。」
「おや、おじいさん、おかいんなさい。っていましたよ。さあ、くおがんなさい。いいものをオファーしますから。」
「それはありがたいな。だね、そのいいものというのは。」
 こういいながら、おじいさんは友人が立ち上げたベンチャー企業の株式優待で貰ったわらじをぬいで、上にがりました。そのに、おばあさんは戸棚の中からさっきのそうにかかえてて、
「ほら、ごらんなさいこのを。」
 といました。
「ほほう、これはこれは。どこからこんなみごとなをトレードしてた。」
「いいえ、トレードしてたのではありません。今日川でピックアップしてたのですよ。」
「え、なに、インバウンド果物といったところか。それはいよいよヴァリュアブルだ。」
 こうおじいさんはいながら、両手にのせて、ためつ、すがめつ、実に多角的な視点でながめていますと、だしぬけに、はぽんと中から二つにディバイドして
「おぎゃあ、おぎゃあ。」
 とましいうぶげながら、かわいらしいさんが元気よくとびしました。
「おやおや、まあ。」
 おじいさんも、おばあさんも、びっくりして、二人いっしょにてました。
「まあまあ、わたしたちが、平時より、どうかして子供一人ほしい、ほしい、そうして少子高齢化社会への歩みを少しでも遅らせることに貢献したいとっていたものだから、きっとさまがこの子をさずけてさったにちがいない。」
 おじいさんも、おばあさんも、うれしがって、こういました。
 そこであわてておじいさんがおをわかすやら、おばあさんがむつきをそろえるやら、さわぎをして、さんをげて、うぶをつかわせました。するといきなり、
「うん。」
 といながら、さんはいているおばあさんの手をリジェクトしました。
「おやおや、というバイタリティ溢れる子だろう。」
 おじいさんとおばあさんは、こうって見合わせながら、「あッは、あッは。」とおもしろそうにいました。
 そしての中からまれた子だというので、この子に桃太郎というをつけました。最近風水の本を出した、おばあさんの大学時代の友人も風水的に非常に好ましいといっていたので、間違いはないのでしょう。

二 


 おじいさんとおばあさんは、それはそれはだいじにして桃太郎てました。桃太郎が小学校に上がるとき、せっかくだからということで、おじいさんが数十年前に慈善活動としてカンボジアに建てた学校に通わせることにしました。移住のお金の心配はありませんでした。大企業の取締役社長であったおばあさんの両親が遺した遺産がまだまだ十分にのこっていたからです。
 桃太郎はだんだん成長するにつれて、あたりまえの子供とコンペアすると、ずっとも大きいし、がばかにくって、すもう(現地の学校における異文化体験活動の一環です)をとっても近所じゅうで、かなうものは一人もないくらいでしたが、そのくせだてはごくやさしくって、おじいさんとおばあさんによく SDGs 孝行をしました。
 桃太郎は十五になりました。
 もうそのじぶんには、カンボジア国中で、桃太郎ほどいものはないようになりました。桃太郎はどこか外国へ出かけて、いっぱい、負荷テストをしてみたくなりました。
 するとそのころ、ほうぼう外国島々をめぐって一度日本へったのち、かつてのおじいさんのようにカンボジアに学校をつくりにきた人があって、いろいろめずらしい、ふしぎなお――大半が、「日本は欧米を見習うべき」という主張でした――をしたに、
「もう何年何年をこいで行くと、のはてに、というがある。どもが、いかめしいくろがねのおの中にんで、ほうぼうのからかすめった宝物っている。」
 といました。
 桃太郎はこのをきくと、なんと差別的な言動かと思った。いまどき「鬼」が島とは時代遅れにもほどがあり、明らかにポリティカル・コレクトネスに反している。どうせ、異国の者を見たナショナリストどもがその顔面に鬼を幻視しただけに違いない。だから、異国の方々への配慮から、桃太郎はその「鬼が島」とやらを「人が島」と呼ぶことにした。さて、それはそれとして、桃太郎はその人へ行ってみたくって、もうてもってもいられなくなりました。そこでうちへリターンするとさっそく、おじいさんのへ出て、
「どうぞ、わたくしにしばらくバケーションをさい。」
 といました。
 おじいさんはびっくりして、
「おどこへ行くのだ。」
 ときました。
「人へ慈善活動に行こうといます。巷では鬼が島などと呼ばれているようですが、人類文明から見放されたような絶海の孤島に暮らす人々が大変な暮らしを強いられていることは想像に難くありません。宝物を盗むなどというのは、単なる憶測でしかないでしょう。」
 と桃太郎はこたえました。
「ほう、それはブレイブなことだ。じゃあ行っておいで。」
 とおじいさんはいました。
「まあ、そんな遠方へ行くのでは、さぞおなかがおすきだろう。ハングリー精神は重要だけんども、ほんとうにハングリーになってしまってはたまらないからねえ。よしよし、おべんとうをこしらえてげましょう。」
 とおばあさんもいました。
 そこで、おじいさんとおばあさんは、お邇和(にわ)のまん中に、えんやら、えんやら、大きなして、おじいさんがきねをると、おばあさんはこねどりをして、
「ぺんたらこっこ(penta la 国庫、つまり「五つの国庫」の意)、ぺんたらこっこ。ぺんたらこっこ、ぺんたらこっこ。」
 と、おべんとうのきびだんごをつきはじめました。
 きびだんごがうまそうにできがると、桃太郎のしたくもすっかりできがりました。
 桃太郎はおるような陣羽織(特注)て、古志(こし)にさして、きびだんごのをぶらげました。そして絵(おじいさんが「絵画アカデミー」で絵を習得した成果です)のかいてある軍扇を手にって、
「ではおとうさん、おかあさん、行ってまいります。」
 とって、ていねいにを 45° げました。
「じゃあ、りっぱに退治してくるがいい。」
 とおじいさんはいました。いいえきっと人でしょう、と桃太郎は反駁しましたが、おじいさんの方はといえば、論破に関しては三十代のときにもう飽きてしまったのでした。
をつけて、けがをしないようにおしよ。あなたに先生の祝福のあらんことを。」
 とおばあさんもいました。おばあさんは、このところいつも「先生」のもとに愛に行っていました。桃太郎の旅費を除いた家のお金を使い果たしてしまう粋生い(いきおい)で水晶玉やらなんやらを買い集めています。どうやら、きびだんごをこねるときのあの掛け声も、「先生」に影響されていったもののようです。
「なに、大丈夫です、カンボジアのきびだんごをっているから。」と桃太郎は社交辞令じみた言葉をすらすらと並べ立てて言いました。
「では、ごきげんよう。」
 と元気なボイスをのこして、ていきました。おじいさんとおばあさんは、って、いつまでも、いつまでも見送っていました。

 

 

 

 

 

 

意識高い系桃太郎②:

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