捺火削がん

まず、ココロのスキマにスイッチを設置します

あなたと私を「結ぶ」もの

 あなたと私が最初に出会ったのはいつだったでしょうか。記憶力が著しく乏しいゆえ、正確に思い出すことは残念ながら出来ないのですが、母親の紹介であったことはなんとなく覚えています。あまりにそういったものごとに無頓着な私を見かねてのことだったのでしょう。

 それからというもの、あなたとはずっと仲良くさせていただいています。おおよそ三日に一度は必ずお会いしますよね。そして、お会いした日には、日が暮れるまで一緒にいることがほとんどです。面と向かって話ができる時間を大切にしたいと願っているのは、きっと私だけではないだろうと信じています。毎日会えるわけではないのですから、至極当然のことかもしれませんが……。いずれにしても、私とあなたがずっと一緒でやって来られたのは、間違いなく、ふたりを結んで離さない「紐」があったからでしょう。あなたといるときは、私も温もりに包まれたような心持でいます。私の肌身を、凍えるような寒さから守ってくれる、そんな気がなんとなくするのです。

 ——いえ、「していた」と言うべきでしょうか。

 そう。いつからかあなたと私を結ぶ「紐」は、私をいたく縛り付ける縄のように、きつく苦しいものとなってしまったのです。これがあなたの仕業であることは既に分かっています。私があなたを怒らせてしまったのでしょう。

 心当たりはいくつもあります。まず一つに、私は、あなたと会う予定のない日、他の者と一日中過ごしていました。あなたと一緒にいる日と、まったく同じようにです。朝、待ち合わせをして合流。そこから、トイレに行くときなどを除いては、一切離れることなく、日が暮れたら解散。「あなたの日」と、同じです。そういう者が、あなたの他にあと二、三人ほどいます。だから、嫉妬したのでしょう。これは当然のことですので、非常に申し訳ないと思っています。でも、私とあの者たちを繋げているものは、「紐」というよりかは、「ゴム」に近いようなものです。強く引っ張れば、パチンと音を立てて切れてしまうような、そんなもの。だから、あなたが特別であることに何ら変わりはありません。こればかりは、どうか信じていただけないでしょうか。

 そして次に、私には一日ごと交互に入れ替わりで夜を共にする者がおりました。これは、言い逃れしようのない事実です。しかしながら、あまりに苦しい言い訳と思われるかもしれませんが、私は、私とあれらを結べる「紐」の存在を知っておきながら、あえてそれを結びませんでした。これは、あなたが他の誰よりも特別であるからに他なりません。

 だから。

 私の拘束を、解いてください。

 あなたはかれこれ七日も私を縛り付けていますね。必要最低限の水と食料をとることは許されているので、なんとか生き長らえることが出来てはいますが、この生活は何とも苦しい。苦しくて仕方がない。風呂には行かせてもらえないし、用を足すにも一苦労です。

 あなたが求めるのは、いったい何ですか。私の心からの謝罪ですか。それなら先ほどしましたが、それでもまだまだ足りないということですか。それとも、私の苦しむ顔をずっと見ていたいとか、そういったことですか。はたまた、私をもう離したくない、とか——全部? そうですか。なら言わせていただきましょう。あなたのやり方は、全くもって間違っています。あの紐は、私たちが離れないようにきつく、それでいて優しく、あなたと私とを結んでいました。それが今はどうでしょう。その紐は、鎖のごとく私を縛り付けています。今、私を呻吟させるそのためだけに、その紐は存在しているのです。そんなのは、間違っていると思いませんか。

 思いませんか。

 思わない?

 そうですか。

 これからも、あなたを縛り続けると。

 分かりました。

 本気なんですね?

 了解です。

 そういうことならば、こちらにも考えがございますので。

 そう言って、私が取り出したのは、拘束されるとき、辛うじてポケットに入れることのできた、鋏でした。

 紐。私と「あれ」とをずっと結んできた紐。確かに、私は「ゴム」に浮気をしていましたし、ある夜、あの人の紐に手がかかりそうになった時もありました。でも、私と紐で結ばれていたのは、あの者だけでした。それほどに、大切に思っていたのに。

 当然のことながら、口惜しいことだとは思っています。しかし、その紐があまりに硬くて重い鎖になってしまった今、そんな過去を振り返っていても仕方がありません。破れてしまった布は、縫うことはできても、完全に元に戻ることは決してないのですから。私が生きるために、この鎖を断ち切らなければなりません。

 ま、待ってくれ、あれは一体なんだ?

 そんな、あまりに古典的な手法で、よそ見をしたそのとき。

 鋏をさっと取り出し、紐を、パチンと、一心に、切りました。

 八日目の夜。私は、とうとう解放されました。固結びになった、その鎖から。

 一週間ぶりに、風呂に入りました。非常に心地よいものでした。ここ数日で溜まり続けていた、私の体、それから心の汚れが、一気に流れて消えてゆくのです。物心ついてからでは、最高の入浴でした。もっとも、一週間も風呂に入らないなんて、もう二度とやりたくはありませんが。

 風呂から上がって、パジャマを着ました。紐は結びませんでした。プライベートな場でしか着ないのですし、あんなことがあった以上、やはり怖いですからね。

 あ、あと。

 例のズボンはもう紐をすっかり取り去ってしまったので、外には着ていけなくなってしまいましたが、自宅から一歩も出ない日なんかには、ちゃんと着させていただいていますよ。紐なんかがなくても、あなたが特別であることに、何ら変わりはないのですからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動機

先日トイレに行ったとき、ズボンの紐が固結びになってなかなか解けずイライラしたので、ハサミで切ってやろうと思った