捺火削がん

まず、ココロのスキマにスイッチを設置します

エビチリの残りカスについて

エビチリの残りカスに、なりたいよ~!(マヂカルラブリー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめに

皆さんは、エビチリという食べ物を知っていますか?

僕は 0 歳の頃には既にエビチリのことをしていました。そのあたり、皆さんとは本当に格が違うのですが、まあそんなことは置いておいて。

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エビチリ

ご存知の通り、エビチリというのは中華風の料理です。

 

エビチリは正式名称をエビのチリソース煮といい(出典:Wikipedia)、エビを辛い味付けで炒めた料理です(出典:Wikipedia)。

 

 

中国出身の料理人である陳建民(かの有名な[要出典] 陳健一の実の親です(出典:Wikipedia))が、中国料理の乾焼蝦仁(読み方は分からないので各自調べてください)というのを参考にして作ったのが始まりとされ(出典:Wikipedia)、現在[いつ?]では多くの人々に愛される料理となっています[要出典]。

 

 

 

 

ここまでが本題でここからが余興

さて。このエビチリとかいう料理。

 

 

 

正直、かなり美味しいです。

 

 

 

こんなドロドログチャグチャで若干のグロテスクさすら持っているこのヴィジュアルで、ちゃんと美味しい。

 

エビとかいう、謎に綺麗にカールしているよくわからない海産物に、よく分からん、仄かに赤みを帯びた、ドロドロの、若干ピリ辛な、謎のソースを絡みつかせてやるだけで、どうしてここまでの料理が出来上がるんでしょうか。

 

まあもちろん、好き嫌いは分かれると思うんですが、少なくとも私は好きです

 

「こんなもん考えたやつは何食ってたんだ」というのが気になって一日二十四時間程度しか眠れないので、是非とも考案者を小一時間問い詰めたいなと思ったのですが、陳建民さんは故人でした。無念。

 

ああ美味しい。エビとチリソースがうまい具合に混ざり合って、正直なんだかよくわからないけどやたらめったらすごいハーモニーを奏でています(食レポ赤点)。

 

完食です。ごちそうさまでした。いやそれにしても、美味しかったなあ。このソースの製法教えてくださいませんか? 我が家で作りたいんですよ。え? この自家製チリソースは三人用なんだ? そう吝嗇なこと言わないで下さいよ~。だってアレでしょう? 「この秘伝のタレは、三千五百年ほど前からずっと継ぎ足しなんです。一度も絶やしたことはありません。」とかではないでしょう? え? 本当に継ぎ足しなんですか? それも五万年以上? これはこれは大変失礼致しました。本当に申し訳ございません。土下座をするので好きなフォルムを指定してください。エビ式土下座……? それはレパートリーにないのでちょっとごめんなさい。チリソースのポーズで土下座……は、もう流石に意味が全く分からないです。

 

 

ソース……?

 

 

𝑺𝒂𝒖𝒄𝒆...

 

 

そ、そうだ!!!!!!(ダジャレ放棄)

 

【その時、探検隊が目の当たりにしたのは、あまりに衝撃的な光景であった!】

 

 

ソースが、めちゃくちゃに余っているッ!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、どうしよう?

困ったことが起きました。

 

完食したエビチリの皿に残っているのは、なんとエビチリのソースだけだったのです。

 

そう、これがこの料理最大の恐ろしいポイント。

 

エビとソースの量の比率がおかしい!!!!!!

 

ソースがやたら多いのです。その、これでもかってくらいドロドロの濃厚ソースの中には甲殻類が入っています。察しのいい皆さんであれば既に気付いていらっしゃるかと思いますが、そう。

 

 

この「エビチリ」とかいう名前の料理。

 

 

その正体は、「エビ + チリソース」なんて生易しいものじゃなく。

 

 

𝑬𝒃𝒊 𝒊𝒏 𝑪𝒉𝒊𝒍𝒊 𝑺𝒂𝒖𝒄𝒆

エビ・イン・チリソース

なのです。

 

 

エビチリという料理の本質とは、「エビとチリソースの調和」です。この両者がうまい具合に絡み合って、至高の合唱を見せてくれるからこそ、エビチリは成立しているのです。

 

「エビチリ」という世界の中で、エビなどというちっぽけなものは、チリソースの胸に顔をうずめていなければ生きては行けないのです。そういう世界なんです。エビチリって。まさに、親子、あるいは師匠とその未熟な弟子のような関係です。

 

だからこそ、チリソースさんは大量に皿に盛られるのです。弱々しいエビを、その溢れんばかりの優しさで包み込んでやるには、それ相応の覚悟と、おおらかさが要求されますからね。多いくらいがいい。

(まあ、「人間は強欲なので、自分たちがエビにソースをしっかりつけて食べたいがために、ここまで大量のチリソースを用意しているんだ」という話もありますが、それについてここでは特に詳しくは触れません。)

 

しかし、出会いがあれば当然いつかは別れもやって来ます。エビが食べられるときが来たのです。強欲なニンゲンに、親のような存在であるチリソースを大量に塗ったくられて、その口腔へと箸で運搬されて行きます。「さようなら、チリソース先生」「あっちでも美味くやれよ、エビ」

 

さて、とうとうエビはみんないなくなってしまいました。かつてエビチリという世界が確かに存在していたはずのその空間には、えも言われぬ郷愁が漂っています。諸行無常。万物は流転する。

 

そうです。この悲哀に満ち溢れたものこそが、「エビチリの残りカス」、またの名を「遺されしチリソース」の正体なのです。

 

「エビチリという世界の主人公はエビだ。でも、エビは弱かったから、チリソースは全力で彼を支えてやらなければならなかった。脇役として生まれながらも、主役が強く生きてゆくために心血を注いだのだ。そして、主人公が旅立つ日、形見にソースを少しばかり持たせて、ええ、もちろん申し訳程度のものです、本体はずっと皿の上にいますからね、それはそうとして、そう、そして、消化器官の旅へ向かう彼をいつまでも見送って——そういう人なんですよ、チリソースっていう人は……」

 

さあ、ここまで来れば、私の言いたいことはもう分かりますよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エビチリの残りカスに、なりたいよ~!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おわりに

この記事の冒頭で、「何言ってんだお前」という感想を抱いた方も、ここまで読んでみると、エビチリの残りカス的な生き方もちょっとカッコいいなって思いましたよね? つまり、そういうことです。あんまり自己犠牲を礼賛したくはありませんが、こういう生き方にもちょっと憧れますよね。

皆さんも、「俺、エビチリの残りカスになりたい」と言って周囲を驚かせ、(俺はお前らとは格が違うので、当然思考回路も違うから、『エビチリの残りカスになりたい』などという突拍子もないことが平気で言えてしまうんだ。俺はそういう類の変人だ。)という奇才アピールをしたのち、この記事のように、チリソースの生き様の如何に尊敬に値するかを友人に説き、「ちょっとカッコいいな」って思ってもらってください。

 

 

まあ、十中八九引かれると思いますが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、あと、エビチリの残りカスが可哀想だからとか言って、皿を舐めるのはやめてください。

 

普通に汚いです。

 

 

ありがとうございました。